深い霧が立ちこめる薄暗い夜、育町に住む佐藤明は、最近亡くなった祖母のことを思い出しながら、彼女が愛した庭を訪れた。
その庭は、彼が小さい頃から何度も遊んだ場所であり、祖母と過ごした穏やかな思い出が詰まっていた。
しかし、その日、明は何か不気味な気配を感じていた。
霧が更に濃くなり、周囲の視界が遮られる中、明は足元から冷たい感触を受けた。
何かが彼を見ているような気がした。
心拍数が上がり、少しずつ不安が募る。
しかし、祖母の思い出に浸りながら、その場を立ち去ることができなかった。
「おばあちゃん、私を守って…」と彼は無意識に呟いた。
すると、その瞬間、風が吹き抜け、霧は一瞬だけ霧散した。
目の前に現れたのは、自分の背筋を寒くさせるような、黒い影だった。
影は微かに人の形を保っていたが、はっきりとした特徴は見えない。
明は恐怖に襲われ、逃げたい一心でその場を離れる決意をした。
しかし、影は彼の動きに合わせてゆっくりと近づいてくる。
逃げようと振り向くと、後ろには誰もいなかった。
明は恐怖に駆られるあまり、ただまっすぐに走り出した。
もはや、後ろを振り向くこともできなかった。
その時、彼はふと気づく。
影は彼を追いかけているのではなく、何かを放とうとしているかのようだ。
彼が立ち止まり、周囲を見渡すと、以前は明るかった庭が今は薄暗く、悲しげな表情をした無数の花が散らばっていた。
「何が起こったんだ?」と内心で叫びながら、明は霧の中で必死に力を振り絞る。
その瞬間、頭の中に不気味な声が響いた。
「ここは界の境、亡き者たちの庭…」その言葉は、聞いたことのない感じではあったが、どこか祖母の声に似ていた。
明は愕然とし、言葉の意味を考えた。
未練が残り、自分の後ろにいるものが、彼を通じて伝えようとしているのかもしれない。
「おばあちゃん、いなくなったの?」と叫ぶと、影は少しずつ形を変え始めた。
そのあたりは、明の記憶にあった祖母の思い出が浮かんできた。
彼は影の中に、祖母の微笑みを見つけた。
彼女の存在を感じると、胸が温かくなったが、それと同時に彼女が抱えていた悲しみも伝わってきた。
「明、私を忘れないで…」その言葉が彼の心に響き、明は涙を流した。
彼女が想いを放つことで、界を越えて伝えたいことがあるのではないか、そう思った。
明は心の中で自分が大切に思っていたことを伝え、彼女の思い出を受け入れる決意をする。
霧が徐々に晴れていく中、黒い影は次第に透明になり、まるで花びらが風に舞っているかのように消えていった。
明はそのとき、亡き祖母がいつも彼を見守っていることを知った。
それに気づくことで、彼は霧の中から解放されたように感じ、再び日常に戻ることができるだろうと思った。
育町の夜空は明るく、霧はすでにどこかへ消えていた。
明は心を落ち着けて、祖母と過ごした日々を思い出しながら、しっかりと家へと帰ることにしたのだった。
もう後ろを振り返ることなく、彼は新たな一歩を踏み出した。