「霧の中の狂気」

厚い霧が立ちこめる晩秋の夜、城下町から外れた道を一人の女性が歩いていた。
その名は由美。
彼女は毎晩のようにこの道を通り、近くの村に住む祖母の元へ足を運んでいた。
しかし、この道は以前から人々に「狂った道」として知られている場所だった。
夜になると不可解な現象が起こるという噂が流れ、多くの人々は昼間以外にこの場所を通ることを避けていた。

だが、由美はその噂など気にせず、祖母の顔を見たい一心で歩き続けた。
霧は徐々に濃くなり、視界はほとんどなくなっていた。
周囲の音も消え、静寂が支配する中、由美は何かが背後にいるような不安を感じ始めた。
そして、ある瞬間、背後から誰かの笑い声が響いてきた。
ただの風のせいだと自分をなだめながら、彼女はその不安を打ち消すことにした。

「あの道は確かじゃない…」と聞こえた声。
それはまるで誰かが由美の心の内を覗いているように感じさせる声だった。
しかし、その声は彼女の耳には実体を持たない、ただの囁きのように響いていた。
「大丈夫、私には何も起こらない」と自分に言い聞かせ、由美はより急いで道を進んだ。

しばらく歩いた後、由美はふと立ち止まり、目の前に見える不気味な影に気づいた。
道の中央に、黒い服を着た人影が佇んでいる。
まるで霧の中からそのまま現れたかのように、その姿はぼんやりとしていた。
由美は、その影に目を凝らし、その正体を確認しようとした。

しかし、影は奇妙にグラグラと揺れ、次第に女性の形を作り上げた。
その髪は長く、乱れたように見えた。
目は空虚で、ただ一点を見つめているようだった。
由美は恐怖を感じながら、ゆっくりと後退ったが、その女性はピタリと動かず、彼女を見つめ続けていた。

「来てはいけないところへ、来てしまったのね」という声が、耳にこだました。
それは、恐ろしい響きのある声だったが、同時に何か優しい悲しみが含まれているようにも感じた。
由美はその言葉に引き寄せられ、思わず耳を澄ませた。

「私もかつては、あなたのようだった。この道には狂ったものが集まる。訪れる度に、何かが変わっていくの…」

由美は心の中で極度の恐怖を感じながらも、その女性に何か訴えたい気持ちが芽生えた。
彼女の目に宿る狂気を解き明かしたいと思ったからだ。
しかし、質問を口にする間もなく、道がゆっくりと変わり始めた。
周囲の景色が傅くように変わり、由美の記憶の奥から忘れ去られた過去が蘇り始めた。

一瞬にして、彼女は過去の自分を思い出した。
幼い頃、家族を失った悲しみから逃げ込んだこの道。
周りの人々が次第に冷たく離れていく中、どこか狂ったように自分を見失ってしまったこと。
彼女はその道をそうして選んできたのだと理解した。

再びその女性を見つめると、彼女の表情は哀しみに満ちていた。
由美は自分に降りかかる運命を悟り、その場から逃れようと必死になった。
しかし、足は地面に張り付いているかのように動かず、視界が白く濁っていく。
狂おしい現象が彼女を包み込み、まるで道そのものが彼女に問いかけているかのようだった。

「あなたはどうするの?再びこの道を通るの?それとも、今ここで独り死ぬの?」その女性の声音が彼女の耳に響く。
由美は短い叫び声を上げ、両手で頭を抱えた。
彼女の心は、絶望と狂気の狭間で揺れ動いていた。
もう戻れない道に踏み込んでしまったのか。

一瞬の静寂の後、再び霧が彼女を包み、視界を失った。
そこにはかつての自分が立っていた。
しかし、そこに何もかもが溶け込んでいく感触に、由美はただ目を閉じるしかなかった。
密かに狂った道の奥で、彼女はその運命を選んでしまったのだ。

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