彼女の名前は佐藤りか。
20歳の大学生で、日々の忙しさに追われながらも、猫を一匹飼っていた。
その猫の名前はティグ、黒い毛並みが特徴的で、静かな夜にはまるで影のように彼女の傍に寄り添っていた。
彼女はティグと過ごす時間を心から愛し、癒しを感じていたが、ある日、彼女の心に不穏な霧が立ち込め始めた。
それは、りかが最近見た夢から始まった。
夢の中で、彼女は目の前に不気味な霧が漂う不明な場所に立っていた。
「助けて…」という声がかすかに聞こえてくる。
声の主は明確には見えないけれど、何かしらの存在は彼女の心の奥深くに響いていた。
夢から目覚めると、彼女はティグが自分の元に寄り添い、安心感を覚えた。
だが、心の中には霧のような不安が残り続けた。
数日後、りかは再び同じ夢を見ることになる。
霧の向こうから声が聞こえてくる。
今度は「私を忘れないで…」という言葉だった。
だんだんとその声が鮮明になり、彼女は何か重要なものを思い出そうと必死になった。
その声は、どこか懐かしく、愛おしかった。
気がつくと、彼女は目を閉じたまま、声の主に向かって手を伸ばし続けている。
その夢は繰り返され、りかは次第に疲れや無気力感を抱えるようになっていった。
日常生活にも支障が出てきて、彼女は学校に行くこともままならなくなった。
周囲の友人たちは心配し、励ましてくれるものの、彼女の心には薄い霧が立ちこめ続け、声は決して消えることがなかった。
ある晩、霧がそれほど濃くなると、りかは思い切って夢の中に飛び込むことを決心した。
「私はあなたを知りたい、誰なの?」と心の中でつぶやく。
すると、また声が響いた。
「私はあなたの心の一部。忘れられたくないの…」
りかは恐怖に囚われながらも、夢の中で声の方へと進んでいった。
彼女の心はまるで霧に包まれ、何が本当なのか分からなくなる。
しかし、その声の響きには無性に惹かれ、恐怖心とは裏腹に心が興奮していくのを感じていた。
そして、彼女はその存在のもとにたどり着いた。
そこにいたのは、かつて彼女の元にいたもう一匹の猫、ミケだった。
ミケは彼女が幼い頃に飼っていた猫で、病気で亡くなってしまった。
しかし、夢の中で再会したミケは、黒い毛並みを持つティグとはまるで違った、温かくふわふわとした毛が触れる懐かしい感触をもっていた。
「どうして私を忘れてしまったの?」ミケの瞳は、霧の中でまっすぐに彼女を見つめていた。
りかは涙があふれそうになりながらも、声を震わせて答えた。
「忘れてなんかいないよ、でも悲しかったんだ…」
「私はあなたの心の一部、いつまでもそばにいるよ」とミケは優しく頷く。
「私を大切に思ってくれたこと、ずっと覚えているから。」
夢が醒めた時、りかはすっきりした気持ちで目を覚ますことができた。
彼女は今までの自分を受け入れ、新しい一歩を踏み出そうと決意した。
そして、ティグの小さな体を撫でながら、「ずっと一緒にいようね」とそっと言った。
その瞬間、彼女の心の霧が晴れ、自分自身を再確認したのだった。
後から思えば、りかの心の中に存在していた霧は、悲しみと向き合うための試練だったのかもしれない。
そして猫たちは、彼女の心の深い部分に宿る大切な思い出となり、二度と忘れることはなかった。