「霧の中の呼び声」

ある霧深い夜、亮は友人たちと共に、古い架橋へと向かった。
橋は町の外れに位置し、長年使用されていなかったため、今では誰も近寄らない場所となっていた。
思い出の場所を懐かしむつもりで訪れた彼らは、友人のゆうかの提案で、橋の上で肝試しをすることにした。

その橋には、昔から語り継がれる言い伝えがあった。
ある日、一人の若い女性が橋の上で失踪し、それ以降、誰かがその橋を渡る度に「誰か」を呼ぶ声が聞こえるという。
友人たちは半信半疑ながらも、霧に包まれた橋の上に立った。

霧の中は静寂に包まれていた。
彼らは橋の真ん中で、一人ずつ自分の名前を叫ぶことにした。
最初の友人、翔が声を上げると、橋の奥から「亮……」という低い囁きが返ってきた。
みんなは驚き、笑い合ったものの、次にゆうかが呼びかけると、同じように「ゆうか……」という声が響いた。

「ただの風だよ」と亮は笑い飛ばしたが、心の奥には恐怖が芽生えていた。
次に彼が自分の名前を叫ぶと、明確な声が近くで返ってきた。
「亮……来て。私を連れて行って……」その声はまるで彼の耳元で聞こえているかのようだった。
驚愕し、亮は振り返るが、誰もそこにはいない。

友人たちも恐怖を感じ取り、急いでその場を離れることにした。
しかし、霧はますます濃くなり、視界が遮られていく。
踏み出す一歩が重たい気がし、まるで誰かが足を引っ張っているようだった。
ついに、彼らは全力で走り出した。

その時、ゆうかが突然立ち止まった。
「待って、誰かがいる……」彼女の顔には恐怖が浮かんでいた。
亮が振り返ると、霧の中から一人の女性の姿が浮かび上がってきた。
白い衣服をまとった彼女は、無表情で彼らを見つめていた。

「私の名前を呼んだの? 私を助けて……」と彼女は言った。
その瞬間、他の友人たちもパニックに陥って叫び始めた。
亮は逃げようとするが、動けなかった。
女性はゆっくりと近づき、その手を伸ばしてきた。

「助けて……私を連れて行って……」と彼女は繰り返す。
その刹那、亮の記憶の中に何かが甦った。
祖母が語っていた話、失踪した女性のことを。
彼女は、橋の下で流された水の中に埋もれ、自らを呼ぶ声を届かせることしかできなかったのだ。

「頼む、助けて……」彼の心の奥が痛んだ。
亮は、女性の抱える悲しみを理解した。
そして、彼女を助けようとする気持ちがこみ上げてきた。
彼は握りしめた手を解き、少しずつ近づいていく。

その時、霧が一瞬晴れ、女性の顔が明るく照らされた。
彼女は微笑んで、光が差し込むとともにその姿が消えていった。
「ありがとう、私はもう大丈夫……」最後の声が心に響いたかと思うと、彼女の存在は霧の中に溶け込んでいった。

友人たちとともに立ちすくんでいた亮は、安堵感と共にその場を離れた。
彼らは決してその橋に戻ることはなかった。
しかし、亮の心の中には、あの女性の声がいつまでも響き続けていた。
誰かが呼ぶ声を忘れてしまわぬよう、彼は忘れがたい夜を記憶に留めておくことに決めた。

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