山の奥深く、霧に包まれた場所には、地元の人々の間で語り継がれた恐ろしい物語があった。
その名は「斉の山」。
ここでは、生きている者が過去の罪を背負わされ、抗うことを許されない現象が起きると言われていた。
大学生の佐藤光一は、友人たちと共にこの山にハイキングに訪れていた。
友人の中には、山の伝説を信じる者もいれば、ただの噂だと笑い飛ばす者もいた。
光一は後者の方で、「どうせただの迷信だろ」と自信満々に言い放っていた。
しかし、彼の心の奥底には、曾祖父がこの山で命を落としたという記憶が薄っすらと残っていた。
その日、彼らは山の頂上を目指して歩き続けた。
日が傾き始めると、霧が立ち込めてきた。
友人たちが恐れを抱く中、光一は「大丈夫、すぐに頂上に着くから」と言って先を急いだ。
しかし、霧の中で方向感覚を失い、彼らは次第に迷子になってしまった。
その時、光一は不意に背後から声を聞いた。
「助けてくれ…。」振り返ると、そこには彼の知らない少年が立っていた。
少年は生気を失った目で、光一を見つめていた。
「ここから出られないんだ…。」その瞬間、光一は嫌な胸騒ぎを覚えた。
友人たちもその声に気づき、少しずつ後ろに引いていく。
「行こう、あんたには関係ない。」友人の一人、田中健二が声を上げた。
しかし、その言葉は通じないようだった。
少年は一歩近づき、手を伸ばしてきた。
「お兄さん、助けて…私の命を…。」その言葉に光一は心が揺れたが、恐怖が優先し、踏み出すことができなかった。
その時、友人の一人が「行こう、ここは危険だ!」と叫び、彼らは先を急ぎ始めた。
だが、光一の心の中には、少年の声が残り続けた。
何かを失ったかのような空虚感。
彼は抗いきれない思いに駆られた。
友人たちは頂上にたどり着き、安堵の表情を浮かべた。
しかし、光一はざわめく心を抑えることができない。
彼は再び山の中に戻り、さっきの少年を探した。
周囲はさらに霧が濃くなり、視界が全く利かなくなっていた。
「おい、待て!」友人たちが彼を追いかけてきたが、光一はただ黙々と道を辿る。
山の奥へ進むにつれ、心の中の葛藤が深まった。
彼は自分の過去、曾祖父が命を落としたときのことを思い出していた。
生き延びなければならないはずの彼。
しかし、彼は少年の声が忘れられなかった。
すると、再び「助けて…」という声が耳に響いた。
光一は立ち止まり、その声の方向に向かって走り出した。
次第に明るい場所にたどり着くと、そこには少年が立っていた。
その目は完全に空虚だった。
少年は言った。
「私を救って…私の命のために、君もひとつ失って。」光一は驚愕した。
彼に何を失わせるのか。
記憶か、友人か、自分自身か。
彼は「すまない」と言葉を漏らし、心の中で抗った。
しかし、少年の悲しそうな顔を見た瞬間、彼の決心は揺らいだ。
「どうして…私の足りない命のために、あなたが代わりに責任を取らなければならないの?」光一はその問いに気づくことなく答えを求めていた。
少年は微笑むことすらできず、静かに光一に近づいてきた。
光一の心に迫る恐怖と同時に、過去の失った命の影が彼に覆いかぶさる。
結果的に、彼は少年の手を取る代わりに、自らが失うものを選ぶことを決めた。
彼は何もかもを忘れさせられ、山の一部になってしまった。
友人たちはその後、光一が失われたことを知り、彼の悲しみを抱えながら山を後にした。
この山では今も、霧の中を一人歩き続ける光一の姿がささやかれることだろう。
「助けて…」と、失われた命の声が、抗うべき過去を持つ者たちの前に立ちはだかるのだ。