「霧に囚われた約束」

彼女の名は抱。
小さな村の外れに建つ、かつて栄えた屋敷に住んでいた。
屋敷は長年放置され、今や崩れかけた壁や雑草が生い茂り、村人たちから敬遠される場所となっていた。
しかし抱は、この屋敷に帰ることを何よりも望んでいた。
なぜなら、彼女の両親が残した最後の思い出がそこに詰まっているからだった。

その屋敷には、特別な霧が現れることがあるという噂があった。
霧はただの霧ではなく、過去の思い出を呼び覚ますと言われていた。
抱はそのことを知り、どこかしら期待しながら、久しぶりに屋敷を訪れる決意をした。

夜が深まるにつれ、村を包み込むように霧が立ち上った。
屋敷に近づくにつれ、目の前の景色がぼやけ、幻想的な空間が広がっていく。
彼女は息を呑みながら、かつての家の扉を押し開けた。
廊下は静まり返り、ほこりが舞っている。
懐かしい匂いが、彼女を包み込む。

「おかえり、抱。」

突然、耳元で誰かの声が聞こえた。
驚いて振り返ると、誰もいない。
心臓がドキリと跳ねる。
彼女の頭の中には、子供の頃の記憶がざわめき始め、両親の笑い声が聞こえてきたような気がした。
抱は思わず目を閉じ、記憶の中に飛び込んでいく。

過去の映像が浮かび上がり、家族と過ごした温かな日々が蘇る。
彼女はそれを思い出しながら、再び霧の中を歩き続けた。
ふと、彼女の目の前に曖昧な影が現れた。
それは、まるで彼女を見つめる誰かの姿のようだった。

「抱、ここに戻ってくるとは思わなかったよ。」

影は、彼女が愛した両親の幻影だった。
恐れや驚きが混ざる中、彼女は自分の名前を呼ばれたその瞬間、過去への懐かしさに浸り込んでしまった。
両親の姿は、彼女に優しく微笑んでいる。
彼女は何か言おうと口を開くが、声が出なかった。

「私たちは、あなたを待っていたのよ。」

抱はその言葉を聞いたとき、不安と喜びが交錯した。
だが、何かが違う。
霧の中では、時間が歪んでいるのかもしれない。
彼女の心の中にあった不安が、今まさに押し寄せてきた。

「霧は、すべての思いを約束する。私たちと一緒に、永遠にここにいることを。」

その瞬間、周囲の霧が濃くなり、視界が遮られた。
抱は恐怖に駆られ、後退ったが、足が動かない。
囚われたような感覚が彼女を襲い、その霧の力に抗えないことを悟った。
両親は、彼女に固執していた。

「私たちと帰ろう。帰る場所は、ここしかないの。」

幻影に囚われながら、抱は心の中で叫んだ。
「帰りたくない!外の世界には、光があるんだ!」その言葉が彼女の口から漏れた瞬間、霧の力が一瞬弱まったように感じた。
しかし、それは短い瞬間で、すぐに再び強さを増した。

「約束を思い出して。私たちの元に帰りなさい。」

抱は気力を振り絞り、最後の抵抗を試みる。
「私はあなたたちと一緒にはいられない!」その瞬間、屋敷が揺れ、周囲の霧が渦を巻き、彼女の記憶が一つまた一つと消えていく。
家族との思い出が、霧の中におぼろげな影として現れては、消え去っていく。
彼女の中にかつてあった過去が、霧に飲まれていく感覚。

しかし、抱はあきらめなかった。
彼女は強い意志を胸に抱き、自らの存在を取り戻そうとした。
「私は、私の未来に帰る!」

その言葉とともに、霧が急に割れ、周囲の影が霧の中に吸い込まれていった。
彼女は目を開き、真っ暗な屋敷の中にたどり着いた。
影は消えたが、両親の声はまだ彼女の耳には響いていた。
「私たちを忘れないで…」

彼女の心に、その思いは残り続けることだろう。
屋敷を後にする彼女の背中には、過去への名残が haunting presence と共にあった。
抱は、必ず戻ると約束した。
霧は、彼女の中で今も生きているのだから。

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