秋の深まるある日、田舎町の外れにある「の」集落は、ひときわ濃い霧に包まれていた。
町を走る狭い道は、いつもなら賑わいを見せるが、霧の中では何もかもが静まり返り、まるで時間が止まってしまったかのようだった。
その日、少年の健太は、友人から聞いた噂を確かめるために周辺を探検することにした。
近くの山の麓には、かつて「霧の人」と呼ばれる存在が現れる場所があるという。
彼の名前は村人たちに恐れられ、真夜中に霧の中から現れ、孤独な人々に悲劇をもたらすという伝説が語り継がれていた。
昼間は元気に遊んでいた健太だが、霧が深くなるにつれ、心の奥に恐れが広がっていた。
「ただの噂だろう」と自分に言い聞かせながらも、霧が立ち込めてくると、周囲の景色が徐々に歪んで見えてきた。
「早く帰らなきゃ」と思いながら、健太は集落の外れにある古びた神社を目指した。
神社へ続く小道は、霧によって一層神秘的な雰囲気を纏っていた。
道を進んでいくと、突然、背後から冷たい風が吹き抜け、彼は思わず振り返った。
しかし、そこには誰もいなかった。
「変だな…」と思った瞬間、健太の目の前に影が現れた。
それは人のような形をしているが、明らかに通常の人間とは違っていた。
顔は不気味に歪み、目は深い霧の中で光を失っているように見えた。
恐怖で身動きが取れない健太の耳に、ささやくような声が聞こえてきた。
「助けて…助けてほしい…」
その声はかすかで、まるで霧そのものが言葉を発しているかのようだった。
健太は恐怖を感じながらも、その声に引き寄せられるように進んでいった。
目の前に現れた影は、顔の見えない人の姿となり、ゆっくりと彼の方へ歩み寄った。
「私は…ここに閉じ込められた者だ。お前の手助けが必要だ…」
影の言葉に心を揺さぶられた健太は、深呼吸をして勇気を振り絞った。
「どうすればいいの?」彼は声を震わせながら問いかけた。
「私を解放してくれ。この霧の中から。真実を知らなければならない…」
影はじっと彼を見つめ、霧の中で一際強く光る目を持っていた。
しかし、その瞬間、健太は気づいた。
「これは本当に人なのか?」影の異様な雰囲気が彼の背筋を凍りつかせ、逃げ出したくてたまらなかった。
「もう遅い。お前は私のしもべだ…」影は囁き、周囲の霧が急に濃くなった。
まるで彼らを取り囲むように、霧が渦を巻いているように見えた。
心臓が早鐘のように打ち始め、健太は逃げ出そうとした。
しかし、足が動かなかった。
周りの風景が歪み、神社の影さえも薄れていく。
影は一歩近づき、その声は前よりもはっきりと聞こえた。
「お前もここに留まるのだ…助けを求める者は、やがてもう一人の霧の人となる…」
その瞬間、健太の意識が霧に飲み込まれ、周囲の音は消え去った。
彼はただの少年だったのに、影との接触によって運命が一変してしまったのだった。
しばらくして、霧が晴れた時、周囲には誰もいない静かな神社が残っていた。
人々は日常を取り戻し、健太はその中に永遠に囚われてしまった。
霧の中で再び彼が現れる日を祈りながら、彼の声は静かに消えていった。