バの街の外れに、言い伝えられる霊が棲んでいると言われる古びた橋があった。
その名も「狂い橋」。
橋の下には、深い川が流れており、誰もその水に近づこうとはしなかった。
何も知らない者が橋を渡ろうとすると、決まって霊の声が響くと言われていた。
その声は、心の奥底に潜む狂気を引き出すと言われていた。
ある日、町で噂を聞きつけた若い二人、光と佐和は、好奇心に駆られてその橋に足を運ぶことにした。
橋のたもとに立った二人は、まるで空気が重たく感じるようだった。
霊の存在を感じながらも、光は笑顔を浮かべて言った。
「大丈夫だよ、ただの噂だから。さあ、行こう!」佐和は少し不安を覚えながらも、彼の勇気に押されて橋を渡ることにした。
渡り始めた瞬間、風が冷たく吹き抜け、耳元に囁く声が聞こえた。
「戻れ、戻れ…」それは誰かの呻き声のようで、険しい表情を浮かべる佐和の心に恐怖を植え付けた。
一歩ごとにその声は大きくなり、まるで彼女を遮るように迫ってくる。
「ねえ、あの声、聞こえる?」佐和は声を震わせて言ったが、光は平然としていた。
「気のせいだよ。恐がっているだけじゃない?」確かに、光は自信に満ちた表情で橋を進み続けた。
しかし、佐和の心の奥では何かが崩れていく感覚があった。
ついに二人は橋の中央に差し掛かったとき、突然、足元に冷たい水しぶきが飛び散った。
驚いた二人は顔を見合わせた。
「ただの水しぶきだよ。気にしないで進もう」と光が言うが、佐和は体が震えるのを抑えきれなかった。
そして、次の瞬間、狂気の霊が現れた。
口元には微笑を浮かべた女性の姿で、目は虚ろで色を失っていた。
彼女は二人に向かい、薄い声で囁いた。
「ここは私の場所、狂気を求める者たちよ…私と一緒に永遠にいよう…」その言葉は、一瞬で二人の思考を狂わせ、光は冷静さを失い、「逃げよう、佐和!」と叫んだ。
だが、佐和はその声に反応することができず、橋の先端に立ち尽くしていた。
彼女の目の前には、狂気の霊の姿がゆっくり近づいてくる。
「私と一緒に、狂いましょう」と彼女は微笑みを絶やさずに囁く。
佐和は心の中で何が起きているのか理解できず、ただ、その目が自分を捕らえているように感じた。
その瞬間、光が橋の端から手を伸ばした。
「佐和、頼む、戻って来て!」彼の声が佐和の心の奥底に響き渡ったが、狂う霊はさらに近づき、彼女を抱きしめるようにその手を伸ばした。
「私の仲間になれば、真の自由を手に入れるのよ…」狂気の響きは、彼女の心の壁を砕いていく。
やがて、佐和は霊の囁きに応じて、彼女の手を取った。
その瞬間、二人の周りの景色は歪み、狂った風景が広がる。
どこまでも消えていきそうな虚無の中、彼女は狂気に囚われ、自らの意識が薄れていった。
一方、光はそんな彼女を押し留めようと叫び続けたが、その声は徐々に掻き消されていく。
視界が白くなり、橋が崩れゆく中、佐和は心の中で思った。
「これは本当に私の選択なのか?」しかし、彼女はもう戻ることはできなかった。
数日後、橋の近くに立った観光客たちは、時折響く不気味な笑い声や囁き声を耳にすることになる。
彼らはその声を聞いて立ち去るが、また一人の好奇心に駆られた者が橋を渡る日を待っているのだろう。
狂い橋は、今なお、霊に導かれる者たちを待ち続けているのだった。