雨がしとしとと降り続く夜、佐藤俊也は仕事帰りにいつも通る道を急いでいた。
暗く湿った街並みは、何か不気味な緊張感を漂わせていた。
彼はどこかぞくりと背筋が冷えるような思いを抱えながら、足早に帰路へと急いた。
その道を通るのは何度目かだったが、今日は何かが違う気がした。
雨水が道路を流れ、路肩には小さな水たまりができている。
俊也はふと、その水たまりの中に映る自分の顔を見つめた。
すると、何かが視界の端を掠めた。
彼の心臓が高鳴る。
何かが自分を見つめている気がしたからだ。
「まさか…」俊也は思った。
昨晩の夢を思い出す。
夢の中で、彼は顔を隠した少女に出会った。
彼女は雨に濡れた髪を揺らしながら、「忘れないで」と呟いたのだ。
その言葉は彼に強い印象を与え、それが今、現実と交わったように感じた。
家の近くまで来たところで、彼は再び水たまりを見つめた。
すると、今度は映るはずの自分の姿の背後に、一瞬、少女の影が現れた。
俊也は驚いて後ろを振り返るが、そこには誰もいない。
恐れを感じつつも、気のせいだろうと思い直し、再び歩き出した。
だが、その夜から彼は妙な呪縛にとらわれるようになった。
毎晩、雨が降るたびに夢の中に少女が現れ、彼女は「忘れないで」と耳元で繰り返す。
俊也は徐々に、彼女の存在が無視できないほど鮮明なものになっていくことを感じた。
ある雨の日、彼は思い切ってその少女について調べることを決意した。
さまざまな本やインターネットをたどりながら、彼は「雨に濡れた少女」の伝説を発見した。
伝説によれば、その少女は何年も前に雨の日に悲劇に遭い、その後、雨の日に現れる霊となったという。
彼女は自分の存在を忘れないでほしいと言い残しているのだった。
俊也はその話に興味を持ち、今度こそ彼女の真意を知りたいと思った。
そして、次の雨の日、彼は家を出て、祭りで使われる神社へ向かうことにした。
そこには、彼女の霊が現れるという言い伝えがあった。
神社に到着すると、再び雨が降り始めた。
しんとした静寂の中、彼はその場に立ち尽くしていた。
すると、ふと風が吹き、傘がひっくり返り、彼の視界がぼやけた瞬間、少女が目の前に現れた。
彼女は透き通るような肌を持ち、雨に濡れた髪がさらさらと流れている。
「私を…忘れないで…」と彼女は言った。
俊也は全身に寒気が走り、少し後ずさりした。
そのとき、彼女の目が彼をじっとうつむかせるように見つめ、彼の心の奥深くに何かが響いた。
「あなたは…私を知っているの?」俊也は恐る恐る尋ねた。
すると、少女は静かに首を振り、再び「忘れないで」と繰り返す。
彼は胸に手を当て、自分が彼女に何の思い出も抱いていないことに気づく。
それが、彼女の悲しみを増幅させているのだと理解した。
彼は、自分の心にその存在を刻む決意をした。
「忘れない、絶対に忘れない。」
その瞬間、少女の表情が変わり、微笑むように見えた。
彼女の姿は少しずつ薄れ、雨の中に溶け込んでいく。
雨の音が静まり、街のざわめきが戻ってきた。
俊也は彼女が自分の記憶に留まったのを感じた。
彼女の存在を託された彼の胸には、これまでとは異なる決意が芽生えていた。
彼はこの出来事を忘れず、彼女のことを人々に伝えていくことを誓ったのだった。
雨が降るたびに、彼は心の中で「忘れない」と呟くことを決めた。
彼女の声は、今もどこかで響いているかのように思えた。