「闇に響く囁き」

深夜、鉄道会社で働く佐藤は、終電後の線路の点検作業を命じられた。
周囲は静まり返り、闇に包まれたトンネルの中をライトで照らしながら進む。
彼は仕事に集中するあまり、耳に残る微かな音に気づかなかった。
それは、まるで誰かが彼を呼んでいるかのような、低く震える囁きのような音だった。

「運が悪いな」佐藤は笑いながら自分に言い聞かせた。
彼は日常から逃れるために、この仕事を選んだが、恐怖や不安とは無縁であると信じていた。
しかし、その囁きが次第に徐々に大きくなり、周囲の静けさを破り始めた。
「助けて…」という声が耳元で響く。
驚いた彼は、すぐに懐中電灯を振り向けたが、そこには誰もいなかった。

「まさか…何かの間違いか?」その声の正体を考えつつ、佐藤はさらに進んだ。
線路のすぐ傍にある古びた鉄の柱に目をやると、そこに何かが引っかかっていることに気づいた。
薄暗い中で、彼は近づき、そのモノを覗き込んだ。
それは、朽ち果てた人形だった。
髪は長く、衣服は綺麗なはずなのに、すっかり風化してしまっていた。
まるで何年も前からここに存在しているかのようだ。
佐藤は気味が悪くなり、そっと立ち上がった。

またあの囁きが耳元で聞こえた。
「運命を…変えて…」彼は振り返ったが、やはり誰もいない。
心臓が高鳴り、恐怖が徐々に彼を包み込んでいく。
次第に、彼はその人形に目を奪われてしまった。
ふと、手を伸ばさずにはいられなくなり、彼はその人形を持ち上げた。

その瞬間、周囲が急に暗くなり、トンネルの奥から奇妙な音が響き渡った。
「助けて…運命を変えて」と、囁きが明瞭に聞こえる。
佐藤は、ただの音だと思っていたが、その声には確かな感情が込められていることに気づいた。
彼は恐怖と期待を感じ、視線を下に落とすと、人形の目が彼を見つめ返しているように思えた。

佐藤は信じられない気持ちで一歩後退した。
「運命?」彼は人形を地面に投げ捨てたかったが、どうしてもそれができなかった。
足はピクリとも動かず、運命が彼を束縛しているように感じた。
囁きはさらに強くなり、「来て…私と一緒に…闇に落ちて…」と音が波となり、彼の頭の中で渦巻いていく。

その時、暗闇から一つの影が現れた。
細長い影のようで、目には光が宿っていない。
普段は見慣れたはずの線路の景色が、徐々に幻想的な闇に覆われていく。
視界が歪み、佐藤はただ目の前の影を見つめ続ける。
影は彼に向かって近づき、低い声で囁いた。

「さあ、私の運命を取って…」

彼の意識が遠のく中で、佐藤は思い出した。
人生の選択、その一つ一つが運命を作り上げていく。
彼の心には恐れと共に、一瞬の好奇心も芽生えていた。
彼は頑なに選択を拒んできたが、今やその影に引き寄せられていく自分がいた。

「いいのか?闇に堕ちる覚悟はあるのか?」

その言葉に背を押されるように、佐藤はついに一歩前に踏み出した。
瞬間、周囲が色を失い、全てが暗闇に包まれる。
彼の心の中で、止まっていた運命の輪が動き出し、何かが彼を深い闇の中へと引きずり込んでいく。

その影は彼を受け入れるように微笑み、囁き続けた。
「私の運命を、あなたが背負って…」闇は無限で、恐怖と同時にどこか心地良さを感じさせた。
佐藤は何も言えず、その場から完全に取り残されてしまったのだった。
彼の運命は、闇の中で永遠に囚われ続けることとなった。

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