「闇に咲く美奈の影」

ある雨の降りしきる夜、田中誠は古ぼけた家の前に立っていた。
外はざあざあと降り続ける雨音が、闇に包まれた街の静けさを引き裂いていた。
誠は、友人から聞いた「家」がどうしても気になっていたのである。
その家は、数年前に閉じられたまま放置されているという。
風化し、不気味な雰囲気を醸し出すその家は、近づく者に恐れをもたらしていた。

「この家には、何かがいる」と友人は言っていた。
その瞬間、誠は好奇心に駆られ、並みの人ならば通り過ぎるところを、足を踏み入れてしまった。
家の扉は錆びついていたが、少し押すと音を立てて開いた。
彼は暗い廊下をゆっくりと進んでいく。
廊下の両脇には、かつての住人が使っていたと思われる家具や雑貨が散乱していた。

雨という音にかき消されながら、誠は小さな部屋に目を向けた。
部屋の中は薄暗く、光を失ったような感じがしたが、部屋の奥に置かれた大きな鏡に何かが映っているように感じた。
直感的にその鏡に引き寄せられる。
そこには、ぼんやりとした影が映り込んでいた。

「る…るる…」誰かの囁き声が耳に入ってくる。
誠は思わず後退したが、その影はまるで彼を呼ぶように揺れ動いた。
恐れを感じながらも、彼は再び鏡の前に立った。
そこにいたのは、彼自身ではなく、若い女性の姿だった。
彼女は、不安そうに誠を見つめていた。

「あなたも来たのね……」彼女はため息をついた。
その声は透き通るようで、まるで遠くの誰かに呼ばれているようだった。
誠は言葉を失い、ただ彼女を見つめ返すしかなかった。
彼女の目には何か切ないものが宿っていた。

その瞬間、誠はその家の過去に引き込まれるような感覚に襲われた。
彼女の名前は「美奈」と言い、かつてこの家に住んでいたという。
彼女は、愛する者と一緒に生きるはずだったが、運命に翻弄され、何も知らぬままこの世に別れを告げたのだと言った。

「私はこの家から出られない。あなたには、私を助けられるかもしれない」美奈の言葉に誠は一瞬、息を飲んだ。
彼女の背後は、闇が渦巻くように感じられ、彼女はその闇に飲み込まれそうになっているようだった。
「お願い、私を忘れないで……」彼女の声は消えゆくところだった。

誠は彼女を助けたいと願った。
しかし、どうすればよいか分からなかった。
頭の中には混乱が広がる。
彼が何かをしなければと思った時、降っていた雨が急に止んだ。
静寂が訪れ、その静けさの中で、彼は美奈に手を差し伸べた。

「美奈さん、私がいる。あなたを忘れない。だから、私と一緒にこの場所から出て行こう」誠の声は、少しずつ彼女に届くように感じた。
すると、美奈の顔にわずかな光が灯った。
「本当に……?私の思いを、あなたが…」彼女は徐々に近づいてきた。

しかし、その瞬間、家が揺れ動く。
壁が崩れ、闇が彼女の周囲を包み込んでいった。
「り、ありがとう……でも、もう時間がない。私の前を開けないで……」美奈の声は次第に小さくなり、彼女は消えかけていった。
誠は絶望感に飲み込まれそうになったが、何とか彼女の手を掴み、そのまま強く握りしめた。

「絶対に放さない!私の心の中にいる限り、あなたは消えない!」誠の声が響き渡ると、家は大きな音を立てて崩れ始めた。
その瞬間、彼の手の中には美奈の存在を感じることができた。
一瞬の静寂の後、全てが消失した。

次に意識を取り戻した時、誠は、あの雨が降り続ける夜の外に立っていた。
家はすっかり消え去り、何も残っていなかった。
しかし、心の中には美奈との絆が生き続けていた。
彼は彼女の存在を忘れないと決意し、その夜の出来事が永遠に記憶に刻まれることを胸に誓った。

タイトルとURLをコピーしました