「鏡の裏に潜む影」

弘樹は、祖母から譲り受けた古びた館に引っ越すことを決めた。
彼女が亡くなる寸前、謎めいた微笑みを浮かべて言った言葉が今でも心に刻まれている。
「この館には、裏の顔があるのよ。しかし、あの悪を知る者は少ない…」

初めて館の扉を開いた時、弘樹は薄暗い廊下に足を踏み入れた。
古い木材のきしむ音と、どこか不穏な空気が彼を包む。
しかし、彼は負けず嫌いで、それに魅了されていた。
祖母が残した絵画や家具が、彼に小さな幸福感と同時に不安感を与える。
特に、二階にある一つの部屋が気になった。
大きな鍵がかかっているその部屋には、祖母が触れてはいけないと言っていた何かがあるような気がした。

ある晩、室内で古い書物を読み漁っていた弘樹は、ふとした思いつきで鍵を探し始めた。
数時間後、ついに見つけた時、心臓が高鳴った。
好奇心に逆らえず、彼はその部屋の扉を開けた。

その瞬間、冷たい空気が彼を襲い、館全体が震えた。
陽の光がこの部屋には届かず、ただかすかな光源が浮かんでいるようだった。
中には、無数の鏡が並び、そこでは自分の姿が映るばかりか、別の景色が映し出されていた。
横たわるように取り残された家族の姿、祖母の若かりし頃の表情が心に引っかかった。
彼は見続けることに、だんだんと夢中になっていった。

その時、何かが彼に触れた感触がした。
振り返ると、鏡の中から何かが彼を見つめていた。
顔は不鮮明だが、不気味な笑みを浮かべているのが確認できる。
弘樹は恐怖に駆られ、一歩下がったが、後ろの扉は閉まっており逃げられない。

彼は心の中で叫んだ。
「何が起こっているんだ!」

鏡の中の影は、ゆっくりと動き出し、弘樹に向かって手を伸ばしてきた。
冷気が彼の身体を包み込み、動くことができなくなる。
恐怖に身を震わせながらも、何故か魅了されている感覚が同時にあった。
彼はその存在に引き寄せられ、一歩また一歩と近づく。

「あなたは私を選ぶのね」と、その影は囁く。
背後の廊下から不気味な声が響き、まるで館全体が彼を囲んでいるかのように感じた。
「私の力を、裏の世界を体験しなさい」と。

瞬間、弘樹の意識は裏の世界へと引き込まれた。
彼は鏡の奥で数え切れない姿を見つけ、すべての彼が経験した選択肢や後悔が映し出されていた。
失った友人、祖母の言葉、助けられなかった人々が全てそこに存在していた。
それらの悪影響が、彼の心の中に忍び寄った。

彼は突然、逃げ出すことを決意する。
しかし、その影は彼の身体を縛り付けようとする。
「お前は私のものだ。逃げることは許されない」と囁く。
弘樹は必死に思い出した。
「私には、選び直す力がある!」

彼は過去の記憶を振り払い、前に進むことを選んだ。
すると、影は驚きの声を上げ、館全体が揺れ動く。
暗い空間は、彼の意志でゆっくりと薄れていき、混沌とした影は彼の前から消え去った。

目を開けた時、弘樹は屋敷の床に座り込んでいた。
全ての鏡が割れ、館は静寂に包まれている。
そこにはもはや、裏の姿はなかった。
彼は一生懸命に立ち上がり、その場所を後にすることにした。
祖母が残した裏の悪とは、この心の中にあるものだったのだと、彼は悟るのだった。

あの館はもう二度と戻らない方が良い。
彼は心の中で、そう決意した。

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