「鏡の中の鬼」

ある冬の寒い夜、田中は古い館を訪れることになった。
彼の友人がそこで不思議な体験をしたという話を聞き、興味から探検に来たのだ。
その館は長い間放置されていて、特に一枚の大きな鏡が謎めいた存在として恐れられていた。

「その鏡には鬼が映る」と友人は言った。
「見ると、何かを奪われるらしい」と。
田中は半信半疑だったが、興味が勝ってしまった。
館の中に入り、薄暗い廊下を進んでいく。
壁のペイントは剥がれ、古びた家具が並ぶ部屋の数々を通り抜け、ついにその鏡のある部屋へとたどり着いた。

鏡は想像以上に大きく、不気味なほど美しい。
光はほとんど入らない部屋の中で、鏡だけが不自然に輝いていた。
田中は自分の姿を確認しようと近づくと、鏡の中で何かが動くのを感じた。
心臓が高鳴る。
彼は思わず立ち止まり、目を凝らした。

その瞬間、鏡の奥から漆黒の顔が現れた。
目は真っ赤に燃え上がり、冷たい笑みを浮かべている。
田中は恐怖に駆られ、その場から逃げ出そうとしたが、身体が動かない。
背後から冷たい気配が迫ってきているのを感じた。

「私を見つめるな」と鬼の声が響いた。
それはまるで耳元に直接囁かれているかのように感じた。
田中は自分の中で何かが変わっていくのを実感していた。
心の奥から知らない感情が湧き上がる。
その鬼が自らの力を増幅させ、田中の心を支配していくのだった。

「お前も私の仲間になれる。闇の中で真実の姿を見せてやる」と言い放つ鬼。
田中は理解し始めた。
鏡はただの反射ではなく、他者を取り込み、昇華させる通路のような存在だった。
この鏡に取り込まれた者たちは、何もかもを奪われ、鬼の一部にされるのだ。

田中はその恐怖を振り払い、意を決して大声で叫んだ。
「俺はお前にはならない!」そして、無理やりにその場を離れようとしたが、鬼の声が彼の心にとどまり、離れようとする彼の周りには暗い影が集まってきた。

「逃げられない、戻ってこい。私のものになれ」と声が重なり合う。
田中は闇の影を振り払おうと必死になったが、目の前にその鬼の姿が凝縮され、さらに暗黒が彼を包み込もうとしていた。
身体が重くなり、捨て去りたい最後の一線を越えそうになる。

しかし、田中は強く決意した。
「絶対に負けない!」彼は猛然と後ろにある鏡を突き破り、逃げ出した。
闇の中で叫ぶ鬼と一緒に取り込まれていく者たちの姿が、彼の背後にちらりと見えた。
しかし、それを振り払うように、田中は屋外へと駆け出した。

館の外に出た瞬間、生温かい風が彼を包み込む。
振り返ると、館は不気味な静けさを保ち、鏡の向こう側から鬼の声が響いていた。
「また戻っておいで」と、その声は田中の心に恐怖を刻みつけた。

田中はその後も何度か館の噂を耳にしたが、あの鏡と鬼の存在の恐ろしさから心が離れなかった。
彼は心に深い傷を抱えながらも、あの館に戻ることは決してなかった。
しかし、深い眠りにつこうとすると、いつも暗闇の中からあの声が響くのだ。
鬼の囁きが、彼の心を侵犯し続けていた。

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