「鏡の中の誘い」

彼女の名前は朋子。
大学の講義を終えた後、彼女は友人たちと夕食を共にすることにした。
場所は市内で評判の悪霊スポットとして噂される、長い歴史を持つ廃墟の近くにあるレストランだった。
友人たちはこの場所の噂を聞いて興味津々だったが、朋子はどこか不安を感じていた。

食事をしながら、朋子たちはその廃墟についての話を始めた。
昔、そこで不幸な事故があり、今でもその霊が彷徨っているという。
その話を聞いている間、朋子は目の前の料理が喉を通らない気分になっていた。
雰囲気の変わりしにくさに気づいた朋子は、食事が終わるとさっさとレストランを出ることを決意した。

友人たちは朋子の気持ちを理解していないようで、「もう少しこの雰囲気を楽しもうよ」と言って、廃墟の見学を提案した。
朋子は心底嫌だったが、友人に振り切られる形で無理やり廃墟に足を運ぶことになった。

廃墟に着くと、薄暗い空に沈んだ夕暮れに心がざわめき、朋子は冷たい風が体を撫でるような感触を覚えた。
仲間たちはワクワクした様子で中に入ろうとしたが、朋子は一歩足を踏み入れることができなかった。
小さな声が、「戻れ、ここには何かいる」と囁いているように感じたのだ。

しかし、朋子の友人、智也はそんな朋子を無視して、廃墟の奥へと進んでいった。
朋子は後ろでため息をつき、彼を心配しながらも、不安な気持ちを抱えてついていくことにした。
だんだんと薄暗くなり、影が大きくなる中、朋子の心臓は異常な速さで鼓動を打っていた。

奥の部屋に入り、智也が「見てみて、これ何だろう?」と叫んだ。
朋子が近づくと、彼の指の先には古びた鏡があった。
鏡はかすかにひび割れており、表面には何層もの埃が積もっていた。
朋子はその鏡を見た瞬間、ぞわりっと背筋が冷たくなった。
鏡の奥に、誰かがそこにいるかのように感じたからだ。

朋子は恐れに駆られて後退ったが、智也は笑いながら「さあ、みんなで映ろう!」と呼びかけた。
周囲にいる友人たちもその提案に乗ろうとしたが、朋子は首を横に振った。
「いいから、やめておこうよ!」と声を張り上げると、友人たちは退いて朋子の反応に驚いた。

その時、鏡の中で朋子の姿が変わった。
彼女自身は反射されているはずなのに、別の人物が映り込んでいたのだ。
それは長い黒髪の女性で、朋子に向かって何かを囁いていた。
朋子はその女性に強烈に引き寄せられる意識を感じ、目を離すことができなかった。

「私と一緒になりなさい」と女性が囁いたその瞬間、朋子は理解した。
彼女は智也の呼びかけすら聞こえず、ただその声に誘われて、彼女の意識が引き寄せられているのを止めることができなかった。

朋子は意識を失いかけたが、友人たちの声が段々と遠くに聞こえてきた。
そして、その女性の笑顔が不気味に変わり、彼女の目が空洞のように真っ黒になった。

突然、朋子は自信を取り戻したように鏡から手を伸ばした。
智也が手を引こうとしているのが見えたが、朋子はその意志を振りほどくかのように、再び鏡の中に引き寄せられていった。

「私の世界へようこそ」と、その女性が微笑み、朋子は制御されるように鏡の中にまで飲み込まれてしまった。

次の日、朋子は行方不明になったということで、友人たちの間に心配が広がった。
数ヶ月後、噂になるのは廃墟の前に新たに現れた「朋子の影」だった。
幽霊のように、その場所で朋子の姿を見かけた人々が続出し、彼女は今、新たな誘い手になったとささやかれるようになった。
彼女の不安も恐れも、全てを背負ったまま、永遠にその場所で彷徨い続けるのだ。

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