「鏡の中の約束」

ある日、都会の喧騒から離れた小さな村に、浮崎という若者が訪れた。
彼は仕事に追われ、思い出の地であるこの村で一夜を過ごすことにしたのだ。
村には、今では誰も住まなくなった古びた家が一軒、周囲を緑に囲まれながら佇んでいた。
彼はその家のことを知っていた。
昔、彼の祖父が住んでいた場所だったからだ。

夜、村の静けさの中、浮崎はその古い家に近づくことにした。
空は暗く、冷たい風が吹き抜け、木々のざわめきが耳に心地よい。
彼は何かに惹かれるように、そっと家の中に入った。
中は湿気を含んだ空気に包まれ、薄暗い廊下が続いていた。

すると、突然背後から微かな声が聞こえた。
「助けて…」思わず振り返るが、誰もいなかった。
彼は自分の耳を疑ったが、心のどこかで再びその声が響く。
彼は興味をそそられ、その音のする方へ進んでいった。

家の奥に入ると、部屋の片隅に古い鏡が置かれていた。
そこに映る自分の姿が奇妙に歪んでいる。
彼は一瞬立ち尽くしたが、心の奥にある不安感が、再びその声を追い求めさせていた。
「私から逃げないで…」声はその鏡へと吸い込まれるように響いてくる。

浮崎は恐る恐る鏡に近づいた。
すると、鏡の中に人影が見え、次第に鮮明になっていく。
そこには彼と似た顔をした女性が映っていた。
彼女は無表情で、まるで彼を見つめるようにしている。
「あなたは、私を忘れたの?」彼女の声が耳に痛いほどに響く。

「誰だ、お前は?」驚きと疑念が入り混じり、思わず後退る浮崎。
しかし、女性は微笑みを浮かべ、手を伸ばそうとする。
「私の名は、絵里。あなたの祖母よ。ずっとここにいるの…」その瞬間、彼の記憶が一気に甦った。
祖母は何年か前に亡くなっていたのだ。

「どうして…こんなところに?」彼は声を震わせながら問いかけた。
絵里は涙を浮かべて答える。
「ここは私の家。あなたが私を忘れ去る前に、もう一度会いたかったの。家族が私を見捨てたのを、あなたに伝えたくて…」

絶望感が彼の心をとらえる。
“家族が敗れ、記憶も消えていく…” そんな思いが、彼を締め付けた。
彼は過去と向き合わなければならなかった。
浮崎は絵里の存在を感じながら、彼女の悲しみを受け止めることができなかった。

「私はあなたを助けたい。でも、私はここに閉じ込められている。あなたが私を思い出してくれれば、私も楽になれるの。」彼は未練を残さないために、彼女の手を取った。
すると、急に奥から冷たい風が吹き抜け、絵里の姿はぼやけていく。
「実の者が来るまで、あなたを離しちゃいけない…」

「待って!」浮崎は絵里の叫び声を響かせながら必死で引き留めた。
彼は何とか彼女をつかまえようとしたが、次第にその実体は消えていき、彼の手をすり抜けてしまった。
目の前が真っ白になり、心の奥で後悔の念が渦巻いた。

次の瞬間、彼は古びた家の外にいた。
雨が降り始め、先ほどまでの温かさが嘘のように冷たく感じる。
その中で、彼は絵里との約束を胸に刻み、再び故郷の村に別れを告げた。
背後では、彼の忘れられた祖母の声が、雨にかき消されていくのが聞こえた。
「あなたは、私を忘れないで。」その言葉が心に残り、浮崎はそのまま町へと帰っていった。

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