「鏡の中の忘れられた私」

光が差し込まない薄暗い宮の中、古びた鏡が一つ、ひっそりと佇んでいた。
その鏡は、代々この宮に伝わる神聖な道具として扱われているとされていたが、年月が経つにつれ、誰もその前に立つことを避けるようになっていた。
井上という若い女性は、故郷を離れ、この宮に戻ってきた。
彼女にとって、この場所は心の安らぎを取り戻すための療養所でもあった。

井上は幼い頃、この宮で遊んだ思い出があった。
友人たちと共に笑い合い、お祈りを捧げた場所。
しかし、大人になるにつれ、彼女の心には不安が増し、日々の暮らしに疲れを感じるようになった。
そんなある日、彼女は思い切ってこの宮を訪れることにした。

宮に足を踏み入れると、昔の思い出が次々と蘇ってくる。
彼女はあの古びた鏡に惹かれ、近づいていった。
鏡は埃をかぶり、反射する光の中には彼女の姿以外何も映っていない。
井上は静かに鏡を見つめ、自分の心の闇と向き合うことにした。

突然、鏡の中に微かな波紋が広がるように見え、彼女は驚いた。
波紋が収まると、そこには見慣れた少女の姿が映っていた。
それは、井上の幼い頃の自分自身だった。
笑顔を浮かべるその姿は、彼女の心に癒しを与えようとしているかのようだった。
だが、まもなくその少女の表情は陰り、悲しみに満ちた瞳で井上を見つめ返してきた。

「あなたは、私を忘れてしまったの?」少女はつぶやいた。
井上は言葉を失った。
彼女が覚えていた想い出は、楽しいものばかりではなかった。
何度も何度も、笑顔の裏に隠された孤独を否定していたのだ。

「あなたは私の心を再生させるために来たの?」また少女が言った。
井上は、自分の心の中に眠る過去の影に目を背けることはできなかった。
彼女の心が求めていたのは、癒しではなく、自己を見つめ直すことだったのだ。

その瞬間、突然鏡に亀裂が入り、彼女の目の前で光が耀いた。
反射する光の中で、井上は恐ろしい幻影を見ることとなった。
無数の自分自身が、彼女の周りで歪んだ笑みを浮かべている。
彼女は逃げるように後ずさり、背中が冷たくなり始めた。
どこへともなく向かう先は、恐怖で満ちている。

その時、彼女は思い出す。
幼い頃、友人たちと共に遊んだあの楽しい時間、笑い合った日々。
彼女は自らの存在を取り戻そうと決意し、恐怖を乗り越えようとする。
「忘れられてはいけない」と心の中で叫び、恐れから解放されることを願った。

井上は再び鏡に向かって歩み寄り、自らの心と向き合う。
「私は私を忘れない」と、自身に言い聞かせ、過去を受け入れる加治の印を心に刻んだ。
無数の幻影が徐々に薄れていく中、彼女は確かな安らぎを見つけ始めた。

そして、残ったのは一つの笑顔。
彼女の与えた心の癒しが、鏡の力を再生させ、かつてのような光に満ちたものへと変わっていく。
井上は静かに微笑み、再び自分自身を見つけ出したのだった。

宮の中に静寂が戻り、古びた鏡は再び彼女自身の反映を見ることとなる。
井上は、その鏡に映る自分を見つめ、過去を受け入れ、未来へ歩み出す決意を新たにするのだった。

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