小さな町の隅っこに、昭和の香りをそのまま残した、誰も住んでいない古びた家があった。
そこは、長い間放置され、雑草が生い茂り、窓ガラスはほとんど割れ、廃墟としての面影を強く残していた。
周囲の住人たちは、そこに何か異様なものを感じ取っていた。
特に、夜になると、その家からかすかな声が聞こえるという噂が広がった。
ある夏の夕暮れ、若い夫婦の善治と美和は、興味本位でその家に足を踏み入れることに決めた。
小さな子供を二人抱える彼らは、家族の物語を探しに行くつもりだった。
しかし、その決断が彼らの運命を変えることになるとは、二人は気づいていなかった。
廃墟の中は静まり返り、日差しが弱まるとともに、薄暗く、冷たい空気が流れ込んだ。
壁には古びた写真が掛けられており、その中には見知らぬ家族の笑顔が映っていた。
しかし、その眼差しには何か影のようなものが潜んでいるように感じた。
善治はその写真を手に取った瞬間、背中に寒気を覚えた。
「ねぇ、善治、これ何だろう?」美和がある物に気づいた。
それは、大きな黒い鏡だった。
不気味なほど磨かれたその鏡には、美和の姿が映っていなかった。
代わりに、ぼんやりとした光の中に、何かが動いているのを彼女は見た。
その影は、まるで時が止まったような雰囲気を醸し出していた。
「ここ、出よう。」善治は半ば必死で美和を引っ張ったが、彼女はその鏡から目が離せなかった。
「待って、もう少し見ていたい。」その瞬間、鏡の中から声が聞こえた。
「あぁ、あなたたちも私を見つけてくれたのね。」
驚いた善治と美和は、一歩下がった。
鏡の中には、若い女性の姿が現れ、その髪が長く流れるように揺れていた。
彼女は自身の手に握りしめた古びた時刻表を見せ、そして続けた。
「私は和子。ここから出られないの。」
突然、時が動き出したかのように、周囲の空気が震え始め、善治は胸の奥に一種の怒りと悲しみを感じた。
しかし、それ以上に彼は驚愕し、何かを知りたいと欲望に駆られた。
「どうして出られないの?」
和子はゆっくりと笑い、冷たい声で語り始めた。
「私はこの鏡と共に生き、同じ時間を繰り返している。生きていた時代の出来事が、ここに閉じ込められている。ただ、誰かに真実を知ってほしくて、ずっと待っているの。」
その言葉に、美和は恐怖と同時に同情を感じた。
しかし、善治は彼女に目を向けさせようとした。
「待て、美和。彼女は生きていた時、何か重い運命を背負っていたんだ。私たちが関わるのは危険だ。」
立ち尽くす美和の目には、和子の悲しみが映っていた。
その瞬間、美和の心には命が如き深い思いが芽生えた。
「あなたの真実を私たちに教えて。私たちが助けたい。」
しばらくの沈黙の後、和子はゆっくりと語り始めた。
彼女は愛する人を失い、心に闇を抱え、その思いを解き放つことができずにいた。
彼女はこの鏡に囚われていたのだ。
時を超えた思いが、彼女を動けなくさせ、ただその場所に留まるしかなかった。
「私を解放してほしい。あなたたちが本当に理解するまで。」彼女の声は、少しずつ鮮明になり、その表情が悲しみから期待へと変わっていく。
善治と美和は、互いにしばらく目を見交わし、心を決めた。
彼女の思いを受け入れ、彼女が抱える命の重みを理解し、彼女自身を受け入れることができれば、彼女をこの苦しみから解放する方法が見つかるかもしれない。
その瞬間、彼らの中に和子への思いが芽生え、命を与えるような力が生まれた。
彼女が抱えていた時を満たすものが、彼らの心の中に響き渡った。
その瞬間、和子の姿が少しずつ薄れていき、鏡は本来の姿に戻っていった。
二人は自分たちの手の中に、和子の思いが宿るのを感じた。
そして、この小さな町の誰も知らない場所に、彼女の存在が生き続けることを誓った。
この出来事を忘れず、彼女の思いを次の世代に伝えることで、和子の命は繋がれ、真実は光を見出した。
そして、鏡の中には、彼女の思いが深く浸透するように感じられた。