「鏡の中の囁き」

陽が沈み、薄暗くなった町外れの小さな妊婦院。
その奥には、長年使われている古びた鏡が一つ、埃をかぶったまま置かれていた。
この鏡は、ある噂が絶えない場所だった。
鏡の前には「妊婦院に宿る陰」と呼ばれる何かが存在し、かつてその鏡をのぞいた者が不幸に見舞われるというのだ。
その噂に興味を持った若者の一人、健人は、彼女の妊娠を心配する友人のために、真実を確かめることにした。

一緒にいた友人の翔太と共に懐中電灯を持って、妊婦院へと足を運ぶ。
二人は暗闇の中、緊張した面持ちで歩を進める。
館の中は静寂に包まれ、淡い緊張感が漂っていた。

「本当に大丈夫なのか?」翔太が心配そうに尋ねる。
「ああ、ちょっと覗くだけだ。大丈夫だよ、きっと。」

健人は自信を装っていたが、内心では怖れを抱えていた。
彼はその鏡の中に何があるのか、知りたかった。
二人は最奥の部屋にたどり着き、鏡の前に立つと、周囲の空気が一瞬、重たくなるのを感じた。
鏡は黒ずみ、まるで何かが潜んでいるかのようだった。

「行こう」と健人は言い、鏡に近づく。
懐中電灯の光が照らし出す中、彼は自らの瞳を鏡の中に映し出した。
その瞬間、鏡の奥深くから不気味な影が現れ、彼の瞳を捉えた。
健人の心臓は急速に鼓動し、全身に鳥肌が立つ。
影は彼の存在を認識し、彼に向かってじりじりと迫ってきた。

「健人、目を離すな!」翔太が叫ぶが、健人はその言葉を聞いた瞬間、影の瞳に引き込まれるような感覚を覚えた。
深い闇の中にあるものは、彼の心の奥なる恐怖を吸い出そうとするかのように感じられた。

次第に、健人はある記憶を思い出していた。
彼の妹、遙(はるか)は数年前、病気で亡くなった。
それ以来、彼は自分の生を責め続けていた。
自分が彼女を守れなかったという思いが、彼の心の中にずっと残っていたのだ。
その時、鏡の中で目が合った影は、妹の姿に変わった。
遙の瞳は、彼をじっと見つめ返している。

「健人、私を忘れないで…」その声が、鏡の奥から響いた。
健人は驚愕し、恐怖を感じながらも、心の深い絆を思い出した。
彼は妹を助けられなかったことを悔いていたが、彼女は今も彼の中に生きている。
振り返ると、翔太が一歩後ずさりして怯えた顔を見せていた。

「逃げよう、健人!」だが、彼は逃げることを選ばなかった。
彼は自らの恐れに立ち向かう決意をし、鏡の中の遙に向かって叫んだ。
「遙、ごめん。本当にごめん。生きることを忘れていた…でも、君は生きている。心の中で、ずっと一緒だ!」

すると、影は一瞬止まり、不気味な雰囲気は消え去った。
鏡は光を取り戻し、遙の笑顔が映し出された。
その瞬間、健人は心の中の重荷が軽くなるのを感じた。
亡くなったはずの妹が自らを信じていてくれたこと、そしてどんな形でも生き続けているという希望を浴びるように胸に抱いたのだ。

翔太もその様子を見て、安心した。
「よかった…健人、もう大丈夫だ。」二人は無事、妊婦院を後にした。
そこでの体験は決して忘れられないものとなり、健人は自分自身を許すことができた。
しかし、鏡の中での出来事は、彼らにとって生涯忘れられない教訓となっていた。
それは、生を真摯に受け止め、絆を大切にすることで、今を生きていく意味を理解するというものだった。

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