彼女の名は由紀。
彼女は日々の忙しさに追われ、次第に自分を見失っていた。
職場のストレス、家事の負担、そして何よりも自分自身の幸せを見つけられないことが、彼女をますます疲れさせていた。
そんなある日、由紀は自宅の片隅に置かれた古い鏡に目を留める。
鏡は祖母が大切にしていたもので、由紀にとっては思い出の品だった。
由紀は鏡に近づき、その表面を優しく撫でた。
すると、不思議なことに鏡の中から微かな光が漏れ出し、彼女の目を引きつけた。
もしかして、祖母の思いが込められているのかもしれないと思った由紀は、何気なくその鏡の前で独り言を言い始めた。
「もう終わりにしたい。こんな毎日は嫌だ。」
その瞬間、鏡の中に映る自分の顔が微かに歪むのを由紀は見逃さなかった。
彼女の心の奥に潜んでいた不安や焦りが、形を持って現れたのだろうか。
本来の自分とは違う誰かが彼女の姿を模して、鏡の中で笑っているように見えた。
由紀は恐怖と興味の狭間で揺れ動いた。
数日後、由紀は再び鏡の前に立つ。
今度は心の中で暗い感情が渦巻いていた。
彼女は再び口を開いた。
「本当に終わってしまいたい。もう限界だ。」
その言葉が浸透した瞬間、鏡がくすんだ色に変わり、彼女の視界に異様な映像が広がった。
映るのは彼女自身だが、その表情はまるで作り物のように冷たく、どこか不気味だった。
そして、その映像に映る自分は、ゆっくりと手を伸ばし、鏡の外にいる由紀を引き寄せるように動いた。
由紀は恐れを抱きながらも、動けずにその場に立ち尽くした。
鏡の中の彼女は、明らかに何かを欲しがっている様子だった。
由紀はその場から逃げ去りたくなったが、身体が思うように動かない。
彼女は、その時に感じた恐怖が自分の運命を示しているのだと思った。
数日が経つと、由紀の生活は一変していた。
彼女は鏡の中の自分と同じように、冷たく、無表情になっていく。
周囲の人々は彼女の変化に気づき始めたが、由紀自身はそのことに無関心だった。
やがて、彼女は自らが感じていた感情を全て失い、ただ日々を過ごすだけの存在へと成り下がっていった。
ある晩、由紀は夢の中で祖母の声を聞いた。
祖母は彼女に向かって、温かい笑顔で言った。
「由紀、あなたは自分を大切にしなさい。終わりにしないで、ちゃんと前を向いて。」
その言葉は彼女の心に強く響いたが、さすがに夢から覚めたとき、由紀の目の前には冷たい鏡が佇んでいた。
彼女はもう一度鏡の前に立ち、自分自身に向かって問いかける。
「私は終わりにしてはいけないの?」
すると、鏡の中の自分が再び動き出し、ゆっくりと頷いた。
彼女は恐る恐るその手を伸ばし、鏡の表面を触れた瞬間、何かが弾けるように感じた。
その瞬間、由紀の心に新たな光が差し込んできた。
鏡は彼女から奪ったものを戻し、自分を見失っていた彼女に再び生きる力を与えてくれたかのようだった。
鏡の中の姿は、徐々に元の優しい由紀に戻っていく。
しかし、怖れは彼女の心にいつまでも影を落としていた。
その日以来、由紀は鏡を恐れないこと誓った。
彼女はやがて、自分を大切に生きることが、自分自身を守る事だと理解するようになった。
しかし、時折鏡を見るたびに、あの冷たい表情を思い出すことがあった。
彼女の心には、「終わり」に対する恐れが永遠に刻まれていた。