リは小さなアパートの一室に住んでいた。
狭い部屋には、簡素な家具が並んでおり、隣との壁が薄くて声が聞こえてくることもあった。
その日の夜、彼女はいつも通りソファに身を沈め、ドスンという音がした。
リは、何かを考えていると、隣の部屋から微かに聞こえる声に耳を傾けた。
「今、誰かいるの?」その声は、女性のものだった。
リは驚いた。
隣人などいるはずがない。
彼女が引っ越してきた際に隣の部屋は空いていたからだ。
それでも、耳を澄ませば、確かにひそひそと話す声が聞こえてくる。
興味本位でリは、音のする方に近づくことにした。
心を躍らせながらドアを開けると、そこには薄暗い廊下が広がっていた。
もちろん、そこに隣の部屋は存在しなかった。
代わりに、いつの間にか古びた鉄の扉が現れていた。
その扉には「入るな」と書かれた札がかかっていたが、何かに引かれるようにリは扉を押し開けた。
中に入ると、空気はどこか重く、っとした湿気に包まれていた。
狭い部屋には灰色の壁があり、中央には大きな鏡が置かれていた。
その鏡はひび割れていて、奥に何かが潜んでいるようだった。
リは思わずその鏡に目を奪われた。
「リさん、来てくれたんですね。」声が響く。
女性の声だ。
リは驚いて振り向くと、そこには薄暗い影が立っていた。
影は次第に形を成していき、明らかに人間の姿になった。
それは彼女に似た、美しい女性だった。
しかし、彼女の顔には陰りがあり、目はまるで何かを切望しているようだった。
「私を助けてほしいの…。この鏡の中から、どうにかして出たいの。」その声にはとても悲しげな響きがあった。
リは何が起こっているのかわからないまま、ただその女性を見つめ返した。
「でも、どうすればいいの?」リは戸惑った。
女性は、一瞬目を細めてリを見つめた。
彼女の表情は無邪気でありながらも、どこか切なさが滲み出ていた。
すると、女性は小さく笑い、「私があなたになって、あなたが私になれば、私も自由になれるの。」と言った。
その言葉を聞いた瞬間、リの心に恐怖が走った。
「私は…あんたにはなりたくない!」リは心の中で叫びながら、足を一歩後に下がらせた。
しかし、女性の影はすっと近づいてくる。
「でも、私がこのままここにいるのは苦しいのです。どうか、私を助けて。」その言葉には、人間の心理を巧みに操るような力があった。
リは思わず目を閉じた。
悪夢の中にいるかのような感覚が襲い、焦燥感が増していく。
扉は閉ざされ、もはや後戻りできない。
何とか逃げようと心の底で叫ぶが、その声は彼女の耳には届かない。
逆に、その女性が彼女の心に侵入し、支配するような不安感が押し寄せた。
その瞬間、リの意識が薄れ、闇に飲み込まれる感覚があった。
次の瞬間、彼女は鏡の中に引き込まれていく自分を見つめていた。
恐怖が全身を包み込む中、彼女は鏡の中に閉じ込められた女性の姿に変わっていくのがわかった。
彼女と同じ美しい容姿、同じ悲しみを抱える心。
彼女はついにその女性と一つになったのだ。
薄暗い部屋が静まり返る中、リは鏡の中から出られない悲劇に気づくのだった。
彼女の心は悲しい歌に包まれ、忘れ去られた存在として、永遠にその狭いスペースで彷徨うことになった。
外の世界では、彼女の姿は誰にも気づかれることなく消えていった。