「錆びた影の囁き」

錆びついた古い町には、一軒の廃屋があった。
そこには人の気配がなく、周囲には怨念が漂っているような静寂が支配していた。
噂によると、その家には妖が住み着いているという。
人々にとって、近寄ることすら恐れられている場所だった。
しかし、一人の若い男、拓海は、その噂に興味を惹かれ、心の中で禁忌を犯す決意を固めた。

ある夜、拓海は友人の浩一に誘われて、その廃屋へ向かうことにした。
浩一は興味本位でさらなる刺激を求めるタイプであり、拓海もその流れに乗ることにした。
しかし、二人が廃屋の前に立つと、急に空気が重たく感じられた。
周囲は暗闇に包まれ、月明かりさえもその影を落としている。

「やっぱり、やめようか?」と拓海はつぶやいたが、浩一は無邪気に笑いながら扉を開けた。
彼の後ろについていくと、内部は薄暗く、酸っぱいような湿気が漂っていた。
壁には無数の錆が浮かんでおり、まるでこの家が生きた証を求めているようだった。

「ほら、何か面白いことがあるかもしれないぞ」と浩一は興奮した様子で言った。
二人は奥へと進んでいったが、廃屋の内部には人の気配が全く感じられなかった。
一瞬だけ、拓海は何かが背後にいるような気配を感じたが、振り返っても誰もいなかった。

「おい、見ろ!」と浩一が叫びながら、壊れた窓の方を指さした。
そこには、錆びた影が瞬時に動いたように見えた。
それはまるで、かつてこの家に住んでいた者の残影のようだった。
拓海はその影が何を意味しているのか考え、胸に得体の知れない恐怖を感じた。

「気のせいだろう」と自分に言い聞かせるが、二人はしばらくの間、目を離そうとしなかった。
その瞬間、背後から「来て」と囁く声が聞こえた。
浩一はその声に魅了されたかのように進み出てしまった。
「浩一!戻ってこい!」と拓海は叫んだが、浩一はまるで催眠術にかかったかのように、その声に従っていった。

拓海は不安と恐怖に押しつぶされそうになりながら、浩一を追いかけた。
奥の部屋には、かつての生活を思わせるような古い家具や道具が、そのままの姿で残されていた。
しかし何もかもが錆び、朽ち果てており、そこには生命の欠如が感じられた。
その中にいたのは、青白い光を放つ妖であった。

妖は、影のように立ち上がり、拓海に向かって手を差し伸べた。
彼の心の奥底に潜む欲望や恐れが、妖の存在に引き寄せられているのを感じる。
「私に来なさい」と妖は言った。
「ここには、すべてを忘れさせる力がある。あなたの消えた夢も、想いも、すべて取り戻せる。」

拓海は震え上がりながらも、浩一の姿を探し続けた。
だが、浩一はすでに妖の手に引かれていた。
彼の目は虚ろで、そこにあるはずの意識は完全に消え去っていた。
「浩一!」と叫ぶが、彼の声はもう届かない。
拓海の中にある恐怖が、彼をさらに後退させた。
その瞬間、妖は不気味に微笑んだ。

「あなたも、来なさい。ここで永遠を過ごすことができるのよ」と妖は言った。
その囁きは、まるで無限の魅力に満ちていた。
しかし拓海は、浩一の姿を思い出し、彼はすでに消えてしまった事を理解していた。
「私はここを出る!」と力強く誓った。

拓海は逃げ出すように、廃屋を後にした。
背後から鬼気迫る声が聞こえ、「逃げられない。あなたの影はいつまでもついて回る」と耳元で囁かれた。
その瞬間、拓海は振り返りたくなるほど、恐怖と苦悩を感じながら、必死に外へと駆け出した。

外に出たとき、拓海は静寂に包まれた町を見渡した。
目の前には、もう一度あの廃屋が佇んでいる。
心の奥で、浩一の声が再び聞こえる気がした。
「私を忘れないで…」その声に背中を押されるかのように拓海は進んだ。
だが、振り返ることはできなかった。
彼の中に、消えてしまった友の影がずっと残り続けるのを感じながら。

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