漁師の健一は、長い間漁業を営んできた男だった。
彼の漁場は古びた鉄鋼の埠頭で、そこには人々が語る数多くの噂が存在した。
その中でも特に耳にするのが、「その場所で消えてしまった者たちの呪い」だった。
若い頃はその話を軽く聞き流していたが、歳を重ねるごとに、その噂が持つリアリティに心がざわつくようになっていった。
ある日、健一は新たな漁場として、遠くの場所にあるという鉄の埠頭に向かうことにした。
その場所は、地元の人々から見放されたような、薄暗い雰囲気が漂っていた。
周囲には誰もおらず、健一は孤独感を覚えながら網を作り始めた。
夕暮れが迫ると、海の色は深い藍色へと変わり、波の音が不気味に響いた。
その瞬間、彼の目の前に異様な光景が広がった。
水面がどこか不自然に揺れ、何か抽象的な形が見え隠れしていた。
思わず近づいてみると、その形はかつて彼が見たことのある漁師たちの姿だった。
彼らは静かな声で「私たちを助けて」と訴えているように見えた。
所々、背後に隠れているように見える影たちは、まるで無限の時間の中で朽ち果てていくさまを表しているかのようだった。
健一はその姿に恐れを抱くと同時に、同情の念が湧き上がった。
だが、彼に与えられたこの光景は、ただの幻影なのか、それとも何か別の意味を持っているのか、判断がつかなかった。
その夜、彼はその漁場で一晩過ごすことにした。
すると、沈むにつれ、彼の周りには不安が渦巻いていった。
夜が深まるにつれて、彼の周りにいる者たちの声は強まり、次第に健一自身が彼らに引き寄せられる感覚を覚える。
「おいで、私たちの仲間になって。」
彼の耳に響く声は、確かにその場所から発せられていた。
健一は恐怖に駆られながらも、声の主たちが彼を待っていることを感じた。
彼の中に芽生えた感情は、いつしか自らが脈打つ心臓の音と混じり合っていた。
彼の心には、呪われた者たちに共鳴するような、急激な恐怖と共感が芽生えていった。
「この海に永遠に囚われているのだ。」
健一はその言葉で自らの身に降りかかる運命を理解した。
かつての漁師たちの魂は、彼をその鉄の埠頭に引き寄せ、みずからが放たれることを望んでいた。
恐ろしいことに、彼はその場所を離れられなくなっていた。
何度も試みたが、気がつくと彼はまた鈍い光の中へと引き戻されていた。
その後、数日間、漁業を続ける毎日が続いたが、彼の心の中には漠然とした恐怖が渦巻いていた。
彼はやがて再び漁場へと足を運び、その鉄の埠頭で過ごし続けた。
健一は日々その幻影に脅かされるようになり、彼自身も少しずつその呪いにかかっていることを自覚した。
月日が流れ、健一はついに最期の選択をしなければならなかった。
このまま留まり続けるか、それとも自ら運命を受け入れるか。
彼は仲間たちの声に導かれるまま、再度水面へと目を向けた。
「私たちを助けて。」
その瞬間、野生の海の真ん中で彼は自らを解放する道を選んだ。
そして、壮絶な波がその身を飲み込んでいった。
彼の姿は、静かに波に沈むしかなかった。
それ以来、あの鉄の埠頭には名前を忘れられた漁師の伝説だけが語り継がれることになった。
夜になると、海の中から「助けて」という声が響いてくるという。
その声は、今や健一自身が新たな仲間を求めるものとなり、永遠に続く呪いの一部となったのだった。
