静まり返った夜、田中は疲れ果てて帰宅した。
仕事のストレスが心に重くのしかかり、家へ着く頃には完全にしぼんでいた。
彼は、毎晩のように夢の中で、何か大切なものを失っている気がしていた。
そして、それが何なのかを思い出せずにいた。
今夜もまた、そんな一夜になるだろうと予感しながらソファに腰を下ろした。
田中は夢の中に入ると、いつもとは違う風景が広がっていた。
見慣れた公園だが、どこか不自然な感覚があった。
周囲には、人々が逆さまに歩いており、空からは雨の代わりに色とりどりの花びらが降ってきた。
彼はその光景に目を奪われながら、ふと昔の思い出がよぎった。
彼の心を支配していたのは、学生時代の親友、佐藤だった。
彼とはあの頃、何でも共有し、助け合う関係だったが、社会人になると連絡が途絶え、いつしか音信不通になっていた。
夢の中の逆さまの人々を見ながら、田中は失ったものが約束として心の中に残っていることを感じた。
そして、その時、田中はふと気づいた。
手元に触覚を思い起こさせる小さなオルゴールが現れた。
プレイボタンを押すと、優しいメロディが流れ出した。
すると、その音にあわせて周囲の逆さまの人々が一列に並び、彼を見上げていた。
その中に、田中の親友、佐藤の姿もあった。
「田中、俺だよ。」と、佐藤は口を開いた。
「どうしてこんなにも連絡を取り合わなくなったんだ? 君は俺を忘れてしまったのか?」
言葉は耳に届いたが、心の奥底で何かが違和感を抱いた。
田中はついに、彼が何か大切なものを失っていたことを痛感した。
目を覚ませば、現実の世界で彼は佐藤のことを完全に忘れていたのかもしれない。
しかし、この夢の中で再会した彼は、確かに彼の記憶の一部だったはずだ。
「忘れていない、君は心の中にずっといたよ。」田中は声に出して言った。
「でも、どうしてもそれを思い出せなかった。君にどうやって助けを求めればよかったんだろう。」
佐藤は寂しげに笑い、とても落ち着いた表情で言った。
「大丈夫、逆さまの世界でこそ、始まることがある。君は失ったものを取り戻せるかもしれない。お前の心の中に、俺はいつもいるんだから。」
その瞬間、たちまち夢の世界が揺れ始めた。
逆さまの人々の姿は溶けていき、佐藤の姿だけが色鮮やかに残った。
田中は手を伸ばしながら、彼の手に触れた。
あまりにも愛おしい触れ合いだった。
目が覚めたとき、田中は同時に泣いていた。
不思議なことに、心の中には喪失感が和らいでいるのも感じていた。
その日の仕事から帰ると、田中は思い切って昔の友人に電話をかけることにした。
久しぶりに声を聞いた佐藤は、彼を温かく迎えてくれた。
再び、互いの心を通わせることができたのだ。
人とのつながりが、どんどん逆さまでなくなっていく様子が心に残り続けた。
田中は失ったものを取り戻し、夢の世界から逃げ出したわけだ。
今度は、彼自身がその夢を引き寄せ、確かに佐藤の存在を感じることができるようになった。
しかし、彼の心の奥深くには、逆さまの景色がいつまでも記憶の中にあり、友情のかけがえのない一片を埋め込まれていた。