ある小さな町に住む青年、日向健太は、その町に伝わる恐ろしい噂に興味を持っていた。
健太は、古びた神社の近くにある廃墟の家にまつわる「逆さまの現象」にまつわる話を聞いたことがあった。
その家に入った者は、時間が逆回しに進むように感じ、いつの間にかその場所から出られなくなるという。
健太の好奇心は抑えきれず、ある夜、友人の佐藤明美を誘ってその廃墟を訪れることにした。
明美は怖がりだったが、健太の説得に応じ、彼女も同行することになった。
二人が廃墟に着くと、暗闇に囲まれたその家は、周囲の静けさと不気味さを増していた。
健太はドアを開け、中に入ってみると、家庭的な家具が無造作に置かれているのが目に入った。
しかし、奇妙なことに、彼らの足元には、一枚の黒い布が敷かれていた。
それは、まるで逆さまに吊るされたように見えた。
「何これ、本当に気持ち悪い……」と明美が呟くと、健太は笑いながら「大丈夫だって、何も起こらないよ」と答えた。
彼らは家の中を進み、廊下の奥にある部屋へと辿り着いた。
部屋の真ん中には、古びた鏡があった。
その鏡は、よく見ると不自然に歪んでいて、何かが呪われているような気配が漂っていた。
「これが噂の鏡ってこと?」明美が不安げに問う。
「多分、そうだろうね。ちょっと近づいてみよう」と健太は興味津々で近寄った。
その瞬間、彼の目の前で、鏡に映った自分が逆に動き、そして何か叫ぶような仕草をした。
驚いた健太はすぐに後ろに下がったが、明美は興味を抱いて近寄った。
「ねえ、健太。私も見てみたい!」
その時、彼女が鏡に近づくと、急に空気がこわばり、部屋の中に奇妙な冷たい風が流れ込んできた。
「あれ?」明美の声は震えていた。
鏡の中の彼女の姿もまた、逆に動き始めた。
突然、周囲の時間が逆回しに進むような感覚に襲われた。
二人は立ち尽くしたまま、周りの情景が急速に変わっていくのを見ていた。
明美は恐怖で動けなくなり、健太は必死に彼女を引き戻そうとしたが、その手は空を切った。
その後、健太の目の前で明美は、ゆっくりと消えていった。
彼は必死に彼女の名前を叫び続けたが、その声は宙に浮かぶばかりだった。
部屋の中にいた物が、逆に元に戻っていくのを見て、健太は自分もまたその「逆さまの現象」に引き込まれそうな恐怖を感じた。
数分間、健太はパニックに陥りながら、その家から出たがった。
しかし、ドアは開かず、彼は必死に叩いた。
やがて、パニックが収束すると、自分が以前いた場所が全く逆になった時間の中にいることに気づいた。
すなわち、彼は明美を探し続けることになり、彼女が完全に消えてしまった後、彼の存在も徐々に薄れていくのではないかという不安が募った。
健太は自分もまた、逆さまの現象に飲み込まれ、忘れ去られてしまう運命に囚われた。
やがて、彼の目の前にも逆さまの布が敷かれ、周囲の情景が淡い霧に包まれ始めた。
もう戻れないことを悟った健太の心には、かつての日常の美しい思い出がひたすらに悔いていた。
彼は再び明美の名前を呼び叫ぶが、その声は虚空に消えていくばかりだった。