深夜の静寂が広がる一軒の民家。
そこで、官の名を持つ青年、勝彦は、世間から忘れ去られたような地域でひっそりと暮らしていた。
勝彦の祖父から伝わる言い伝えがある。
この家には、”気”と呼ばれる不思議な力が宿っているという。
伝承によれば、その家の気を感じ取った者は、何か特別な体験をすることができるが、同時に恐怖も抱えることになると言われていた。
ある日、勝彦は古い酒瓶を庭で掘り出した。
子供の頃から聞かされていた怪しい話の一部が現実になったかのようだった。
酒瓶の中には、一枚の古びた紙が入っていた。
それには、祖先が残した言葉が書かれていた。
「気を感じ取る者は、逃げるしかない。」その文章を見た瞬間、彼の心に不安が募った。
その夜、勝彦は一人で夜更かしをし、また祖父から聞いた伝説を思い出していた。
家の静けさに包まれ、何気なく窓の外を眺める。
すると、彼の視線の先に、薄い光が揺れ動いているのに気づいた。
よく見ると、光の周りには、無数の影が浮かび上がり、まるで生きているかのように動いていた。
恐る恐る、勝彦はその現象に近づこうとした。
しかし、彼の心の中に、先ほど読んだ言葉が響く。
「逃げるしかない」。
それでも彼は、真実を確かめたいという好奇心には勝てず、思わず足を踏み出していた。
光が強くなるにつれ、かすかな声が耳に響いた。
「助けて…放して…」その声は彼の心を掴み、さらに引き寄せた。
気が流れるその場所に近づくにつれ、勝彦は妙な感覚に包まれた。
まるで、目の前に広がる光が、彼の心の奥深くに潜り込んでくるようだった。
すると、影たちがこちらを振り向き、彼を見据えた。
恐怖が押し寄せてきたが、体が動かない。
声にならない悲鳴が、彼の喉の奥でうずいていた。
影たちは静かに彼に語りかけた。
「私たちは、かつて放たれた者。生きる者に伝えなければならないことがある。」その言葉に、一瞬気持ちが穏やかになった。
しかし、その瞬間、勝彦の心の奥から強い恐怖がよみがえり、逃げ出そうとした。
彼の口から飛び出すように言った。
「何を伝えたいのか…」
やがて影たちは、彼の心に潜む悲しみを感じ取ったのか、静かに囁いた。
「あなたもまた、逃げられない運命にいる。私たちのようになるのか、それともこの家を出て行くのか、それはあなた自身の選択にかかっている。」
言葉が終わると同時に、まるで何かが切れたかのように勝彦はその場から逃げ出した。
心臓が高鳴り、足の速さは常人以上のものに思えた。
家の外に出て振り返ると、光は徐々に消え、影たちも姿を消していった。
ようやく安堵し、冷たい風に触れたとき、彼はすべてを聞いてしまったことの重みを感じた。
その後、勝彦はその家を後にした。
伝説が残した警告の意味を、彼は身を持って理解した。
気を感じ取る者は、逃げるしかない。
伝承を受け継ぐ者は、決してその地を放つことができないのかもしれない…と、彼は思った。
家を離れた勝彦の背後には、いつまでも囁く声が響き渡っていた。
