私は、神奈川県の小さな町に住む大学生、田中健一。
ある夏の夜、友人の佐藤と一緒に肝試しをしようという話になった。
町には「な」という名前の古い廃墟があり、そこには「元」という若者が住んでいたという噂が流れていた。
元は数年前に失踪し、以降その館には不気味な気配が漂うようになった。
佐藤と私は夜中にその廃墟に向かった。
道すがら、町の人たちから聞いた「な」の話を再確認した。
曰く、元は非常に内向的で、周囲との交流を持たなかったという。
それが理由で彼を誰も心配せず、いつの間にか彼は姿を消したと噂されていた。
「彼がまだここにいるのかもしれない」と佐藤は言った。
その言葉が、何か妙に胸に引っかかる。
私たちは、その不気味な時間の中、廃墟の中に足を踏み入れた。
古びた扉を開けると、カビ臭さと埃っぽさが襲ってきた。
中は静まり返り、まるで時間が止まったように感じられた。
私たちが最初に入った部屋は、かつて元が使っていたと思われる生活空間だった。
家具は壊れかけ、壁は新しいシミで汚れていた。
しかし、何か違和感があり、どこか空気が重い。
佐藤が「ここにいるのは、元かもしれない」を呟くと、冷たい風が私たちの背筋を撫でた。
その時、廃墟の奥から小さな声が聞こえた。
「助けて…」その声は明らかに子供のものだった。
私は驚き、目を見開いた。
佐藤も同じように驚き、私たちは声のした方へ進んでいった。
薄明かりの中、私たちはその声の持ち主を見つけた。
そこには小さな男の子が立っていた。
彼の目は虚ろで、まるで実体のない幻のように見える。
「僕、怖い…帰りたい…」声は震えていた。
私たちは言葉を交わすこともできず、ただその場を立ち尽くしていた。
「君は、元?」佐藤が思わず聞いた。
すると男の子は首を横に振った。
「違う。彼は…いなくなっちゃった。でも、まだここにいる。」その言葉に、私の心臓が跳ねあがった。
彼は、確かに「元」のことを知っているようだった。
私たちは冷静さを失いかけたが、どうにか残された好奇心から逃げ出さなかった。
男の子は一歩ずつ近づいてきた。
「ここから出られない。みんな、迷っている。」私はその言葉に戸惑いつつも、彼の手を取ろうとした。
しかし、男の子の手は透明で、私の手をすり抜けた。
その瞬間、廃墟全体が揺れた。
壁のひび割れが広がり、空気が重苦しくなってきた。
「いけない…いけない…」そこかしこから囁く声が聞こえる。
恐ろしいことに、男の子の周りにその声の持ち主たちの姿が次々と現れ、無表情で私を見つめていた。
「助けられないかもしれない…」佐藤の声が震えていた。
私も同様に恐れを感じた。
まるで、ここには「元」やいくつもの存在が、終わりのない孤独の中でさまよっているようだった。
私たちは一縷の望みにかけて、声の主たちと目を合わせないようにしながら、その場を離れようとした。
しかし、廃墟の出口は見つからず、私たちはいつの間にか迷い込んでしまったのだ。
焦燥感が募る中、男の子は優しい声で言った。
「迷子は、孤独だよ。帰れない…」その言葉が耳に残り、恐怖が胸を締め付ける。
私は、元や失われた存在に気づかされたのだ。
どれだけ探しても、道は見つからなかった。
それから私は、いつの間にかこの廃墟が何を象徴しているのかに気づいた。
それは孤独だった。
失踪した人々が、この場に留め置かれ、あらゆる物事が忘れ去られてしまうのだ。
「助けて、助けて…」男の子の声が耳に残り、私の心に深く根を下ろした。
その時、佐藤の手を強く握りしめたが、私たちが出られないまま、ただ静かに過去を繰り返すのを待つしかなかった。
私たちは、「な」の中で、孤独に閉じ込められてしまったのだった。