「迷いの森に響く声」

その日、大学生の佐藤健は友人たちと肝試しに行くことになった。
行き先は、近くの森の奥深くにある「迷いの森」と呼ばれる場所だ。
言い伝えによれば、この森には迷った者が必ずその場から出られなくなる不思議な力が宿っており、声に導かれてしまう人もいるという。
しかし、そんな噂を聞いても、彼らはその魅力に引かれ、どこか一種の興奮を覚えていた。

夕暮れ時の森は薄暗く、木々の間から漏れ出すわずかな光が幻想的な雰囲気を醸し出していた。
健は、友人たちと共にその中心部へと向かう。
それぞれが冗談を言い合い、笑い声が森の静けさをかき消す。
しかし、そのうち一人が突然、静かにしようと言い出す。
周囲に何か気配を感じたのかもしれない。

その晩、健たちは深い森の中で一息つくことにした。
友人の中で一番冗談好きな田中が「ここで怖い話をしよう!」と提案し、皆は賛成した。
田中の話が盛り上がる時間も束の間、急にあたりが静まり返った。
まるで彼らの声を吸い込んでしまったかのような、異様な静けさ。
突然、微かな声が森の奥から聞こえてきた。
それは確かに人の声のようだった。

「こっちへおいで」

その声は、まるで誰かが自分たちを招いているかのように甘く響いていた。
皆は、その声に惹かれるかのように身を乗り出す。
しかし、直感で何かが違うと感じた健は、これ以上は近づくのを止めようと提案した。
彼の言葉に一瞬静まるも、好奇心に勝てなかった友人たちは「ちょっとだけ行ってみようよ」と言い、声の方へと向かってしまった。

健は心のどこかで警鐘が鳴っていたが、友人たちを放っておくわけにはいかないと、彼も後を追うことにした。
彼らは声のする方向へ歩を進め、次第に森の道が険しくなり、迷路のように複雑になっていく。
振り返っても、もう出発点は見えない。
健は自分の胸が高鳴るのを感じた。

やがて、彼らは川のほとりに出た。
水の流れる音だけが耳に残る。
辺りを見回しても、友人たちの姿はどこにも見えなかった。
声は再び聞こえてきたが、今度は少し違う響きだった。

「待ってるから…」

恐怖が心を締め付ける。
彼は一人でいることの孤独を実感する。
声を辿るか、戻るか、選択に迷った。
しかし、不安が募るにつれて、漠然とした恐怖が頭をよぎる。
戻ったとしても、果たして友人たちは無事なのか?それとも、もう彼らも森の深淵に呑まれてしまったのだろうか。

叫び声を上げた。
自分の声が森に消えていく。
その瞬間、背後でひらりと誰かの気配を感じた。
振り向くと、一人の友人が立っていた。
だが、彼の目は虚ろで、どこか冷たい印象を与えていた。

「皆、戻ってこれない。もう遅いんだ。」

彼はそのままただ立ち尽くしていた。
健の中に何かが崩れ落ちる音がした。
それは恐れなのか、絶望なのか。
彼は思わず振り返ったが、森には誰もいなかった。
ただ声だけが、彼をさらなる深淵へと引きずり込んでいく。

その後、健の姿は森の中から消え、肝試しに出た仲間たちの言葉の響きだけが、静寂に包まれた森にこだまするのであった。
森は再び静まり返り、誰も彼に近づく者はいなくなった。
迷いの森は、また一人の声を飲み込んでしまったのだ。

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