「迷いの村」

ある晩、深い山の奥にある小さな村で、涼子という女性が迷い込んでしまった。
彼女は仕事で訪れた取引先からの帰り、道に迷ってしまったのだ。
村は静まり返り、星も見えない暗闇に包まれていた。
ぼんやりとした灯が灯る小屋が一軒、村の中心に立っていた。

涼子は勇気を振り絞り、そこへ向かうことにした。
戸を叩くと、鈍い音が響き、その音に応じて現れたのは、老婆だった。
老婆はにこやかに笑みを浮かべ、「迷ったのかい?」と涼子に声をかけた。
涼子は少しホッとし、彼女に村を出るための道を教えてもらいたいと頼んだ。

「この村には、出られぬ者もいる。しかし、迷っている者には手を貸そう」と老婆は言った。
その言葉に少し不安を感じつつ、涼子は老婆について行くことにした。
老婆は小屋の中から不思議な形の道具を取り出し、「これを使え」と言った。

それは、針のような形状をした、小さな木の棒だった。
老婆は、「お前が心から望むものに従って進むがいい。でも、迷う者には迷う道しかない」と警告した。
涼子は少々不安を感じながらも、感謝の意を伝え、村の外れへ向かうことにした。

木の棒を手に取り、彼女は村の暗い森の中を進んでいった。
しかし、道は思っていたよりも複雑で、次第に周囲の景色が変わっていく。
木々は高く立ち、月明かりもほとんど届かない深い闇に囲まれた。

涼子は焦りを感じながらも、木の棒が指し示す方向へ進むことに決めた。
しかし、ふと気づくと、彼女の周りには誰もいないはずなのに、ささやく声が聞こえてきた。
耳を澄ませると、その声は彼女の名前を呼んでいるようだった。

「涼子、涼子…こっちにおいで…」

心臓が高鳴り、涼子は恐れを感じた。
彼女はゆっくりと声の方へ近づいて行くが、何もない空間が広がっているだけだった。
「誰かいるの?」と問いかけたが、返事はなかった。
ただ、冷たい風が彼女の背を押しているように感じた。

さらに進むと、徐々に視界が開けてきたが、奇妙な風景が広がっていた。
ここは以前に自分が訪れたことのある村のように感じたが、色が失われ、朽ちかけた家々が立ち並んでいた。
そこには人影がちらほら見え、誰もがどこか虚ろな眼を持っていた。

「ここは…?」涼子は不安に駆られ、周囲を見渡した。
村人たちは彼女に気づくことなく、ただ立ち尽くしているようだった。
「どうして、誰もいないの?」疑問が湧き上がる。
すると、一人の女性が涼子の目の前に現れた。
その顔は、まるで涼子の知っている昔の友人、真由美に似ていた。

「涼子、戻ってきたのね。私たち、ここで待っているよ」と真由美は囁く。
涼子は胸が締め付けられる思いだった。
真由美は数年前に失踪し、行方不明のままだった。
悔しさと恐れが交錯し、涼子は立ち尽くす。

「あなたもここに迷い込んできたの?」と涼子はつぶやく。
どこか安心感を覚えるが、その反面、何か変わった違和感を感じる。
彼女は背後に感じる視線を振り向くと、無数の視線がこちらを見つめていた。

「迷い込む者は、戻ることはできない。この村は、私たちの世界だから」と、老人が現れ、涼子はその言葉に取り憑かれるような感覚に陥った。
次第に周囲の村人たちも涼子の存在に気づき、彼女を囲むように集まっていく。

その時、涼子は恐怖に駆られ、逃げ出そうとしたが、足が動かない。
まるで彼らの力に引き寄せられているようだった。
「生きている者は、この場所に居るけれど、迷い続ける者の心はここに留まるしかない」と老婆の声が彼女の脳裏にこだました。

涼子は必死に思い出を探り、真由美と過ごした思い出を脳裏に浮かべた。
彼女の笑顔、共に過ごした楽しい日々。
それが彼女を支えてくれる。
涼子は木の棒を天に掲げ、「私は生きている。ここにいる者たちのために、私は戻る」と叫んだ。

すると、一瞬の静寂が訪れ、その後村人たちが悲鳴を上げるように消えていった。
涼子は立ち尽くし、その場から逃げるように森を駆け抜け、やがて明るい月明かりの下へと出た。

しかし、村はもう見えなかった。
彼女は一度迷ったことを胸に、これからは自分の人生を大切に生きると誓った。
心の中に、消えた友人の笑顔を思い出しながら。

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