昇進高校は、古い校舎と新しい校舎が混在する独特な形をした学校だった。
その校舎は、創立から数十年も経っているため、生徒たちの間では数々の噂が立っていた。
特に、放課後の静けさが残る廊下に伝わる不思議な声についての話が多かった。
誰の声かわからないが、「こっちにおいで」や「助けて」といったものが聞こえてくるという。
ある日、剣道部の部員である田中健太は、練習後の遅い時間に一人で校舎に残っていた。
参加者が少なかったため、彼は先輩たちの指導を受けることができず、大会に向けてひとり黙々と自主練を行っていた。
薄暗く静まりかえった校舎に、剣道の木刀が響く音だけがこだまする。
その時、廊下の向こうから「健太、こっちにおいで」という声が聞こえた。
驚いた彼は一瞬立ち止まったものの、その声にはどこか引き寄せられる感覚があった。
不安と興味が入り混じるなか、健太は声がした方へ足を運んだ。
薄明かりの中、校舎の奥へ進んでいくと、声がさらに近づいてきた。
「早く…早く来て…」その声は葛藤に満ちているようで、彼の心をさらに乱した。
彼はまるで声に誘われるように、そのまま足を進めていった。
教室の前で立ち止まると、ドアがわずかに開いていた。
後ろから冷たい風が吹き抜け、彼の背筋がにわかに寒くなる。
ドアの中からは、かすかな「助けて」という声が聞こえる。
意を決してドアを押し開けると、そこには誰もいなかった。
教室の中はガランとしていて、黒板には何も書かれていない。
しかし、その瞬間、頭の中に不意に思い出がよぎった。
彼は、数年前、昇進高校の先輩であった加藤が、校舎の裏で不慮の事故で亡くなったことを。
いつも彼を指導してくれた恩師だっただけに、ショックは大きかった。
しかし、あの時の光景が蘇るたび、彼はその事故を忘れようと努めていた。
しかし、今ここで何かが起こっている。
「健太…私を…忘れないで…」再び声が響く。
今度は涙混じりの声だった。
彼の心は采配され、身体が震えた。
窓の外では、夜の闇に星が瞬いている。
その光の中に、暗い影となって加藤の姿が見えるように思えた。
それは彼を見つめ、助けを求める表情であった。
「僕は、先輩を助けたい!」思わず叫び、剣道部の練習用の木刀を握りしめた。
その瞬間、教室の中が急に冷たくなり、壁の隅からすすり泣く声が聞こえてきた。
「ここから出られない…私を迷わせたのは…お前だ…」
その声に戸惑い、焦る健太。
彼は無意識のうちにその声に反応してしまった。
「何があったのですか?助けますから!」彼は叫んだ。
すると教室は一瞬、何かが動く気配を感じた。
ひときわ大きな風が吹き、とても冷たい視線を感じた。
同時に、加藤の亡霊が眼前に現れた。
「私を、ここから解放してほしい。私の思い出を、引きずり続けないで…」その言葉が耳に残った。
彼の胸の内で、加藤を助けたいとの思いが芽生えた。
しかし、それは同時に彼自身が恐れた「戦い」を意味していた。
「私たちは、戦っているんだ。私の思い出がここに残ることで、次の者を迷わせる。そして、ついには」という声に、健太は胸が締め付けられた。
その時、思い出したのは先輩が彼に教えてくれたこと。
「剣道は心を鍛えること。そして、過去を受け入れることだ。」
彼は深呼吸をし、心を落ち着けた。
「先輩、あなたを忘れません。だけど、もうここにいてはいけない。解放されるべきなんです」そう言い放ち、木刀を地面に置いた。
すると、その瞬間、加藤の表情が穏やかになった。
「ありがとう…」声は消え、教室は静寂に包まれた。
窓の外には星空が広がっていた。
彼は軽く微笑み、再び練習へと戻った。
過去を共に抱えつつ、彼は新しい一歩を踏み出す決意を持っていた。