「迷いの声」

夏のある晩、東京から訪れた若者たちが、北海道の静かな山中にキャンプをすることに決めた。
参加者の中には、リーダー役の佐藤浩司、クールな雰囲気を持つ永田美咲、そしてお調子者の田中健太がいた。
彼らはキャンプ場の設定を手早く整え、焚き火を囲んでワイワイと楽しんでいた。
しかし、夜が深まるにつれ、森の中からさまざまな音が響き始め、不安な気持ちが高まっていった。

焚き火がパチパチと音を立てる中、浩司がふと思いついた。
「怖い話をしようぜ!」その提案に美咲と健太は同意した。
最初は軽いジョークからスタートしたが、次第に彼らの話は本格的な怪談へと移行していった。
美咲は昔、実際にあった事故について語り始めた。

「この山には、昔、ある登山者が迷子になったという伝説があるんだ。その人は、自分の声を聞くことができると言われる山の精霊に導かれて、入ってはいけない道を進んでしまった。結局、その人は二度と帰ってこなかったらしいよ。」

その言葉に、一瞬沈黙が訪れた。
健太が冗談交じりに「大丈夫だよ、みんなここにいるから!」と言ったが、不安な空気はまだ残っていた。
そこで浩司が次に語り始めた。
「そう言えば、その迷子になった登山者の名は“覚”っていうんだ。彼は最後に、戻ってきてほしいと叫ぶ声が森の中に響いたと言われている。」

その瞬間、焚き火が一瞬強く揺らぎ、周囲が暗くなったように感じた。
美咲は背筋が寒くなり、健太は「もうやめようよ!」と表情を曇らせた。
それでも、浩司は話を続けた。
「実はその覚は、自分の存在を忘れてしまったらしい。そして今も山の中で、誰かを呼ぶ声を響かせている。この山に来た者は、磁石のようにその声に引き寄せられ、道を外れて迷い込むらしい。」

夜が更けるにつれ、3人はそれぞれのテントに戻ることにした。
しかし、美咲は不安な気持ちを拭えなかった。
眠れぬ夜、彼女はふと起き上がり、外の静けさに耳を傾けた。
その時、彼女は微かに「帰って来てほしい…」という声を聞いた。
心臓が高鳴り、勇気を振り絞って外に出てみたが、周囲には誰もいなかった。

寝静まったキャンプ場が不気味に感じられ、彼女は自分のテントに戻りました。
しかし、静かにしているつもりでも、何かが彼女の心を乱し続けた。
そして、翌朝、彼女は他の二人に声をかけてみた。

「昨夜、変な声を聞いたの。でも完全に気のせいかもしれない…」

その言葉を聞いて、浩司と健太は冷たい汗をかいた。
実は彼らも同じ声を聞いていたのだ。
しかし、二人とも怖がりたくない一心で言わなかったのだった。
同時に、その事を知らない美咲は、突然立ち上がって山の奥へとまっすぐに歩き出した。

「美咲、どこに行くんだ!」浩司と健太が叫んでも、彼女の足は止まらない。
まるで何かに引き寄せられるかのように、彼女は山の奥へと進んでいった。
そして、その姿があっという間に木々の間に消えてしまった。

探そうとする二人だったが、その声が再び響いた。
「帰って来てほしい…」それは明らかに美咲の声ではないのに、どこか彼女と重なる響きがあった。
二人は心配と恐怖で胸が締め付けられたが、焦る気持ちから思わず彼女を追った。

しかし、急いで進む木々の間で、二人は次第に道を見失い、呼びかける声もかき消されていった。
あたりは静寂に包まれ、ただ時折、どこからともなく「帰って来てほしい…」という声が耳に残った。

その後、浩司と健太はついに美咲の行方を探し出せず、村に戻ることを決めた。
しかし、心の中には、山に残された彼女と“覚”の声がいつまでも響いていた。
彼らは、そのキャンプを振り返るたびに、忘れ去られることのない恐怖と悲しみを思い出すことになるのだった。

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