秋の深まりを感じるある晩、友人たちとホスピスに肝試しに訪れた私は、薄暗い廊下に足を踏み入れた。
そのホスピスは長い歴史を持ち、数十年前には多くの患者が療養していたという。
しかし、その静けさの裏には、忘れ去られた者たちの悲しみが潜んでいるに違いないと私は感じていた。
一緒に来ていたのは、私の親友である美希、そして彼女の兄の大輔、さらに共通の友人である恵美と圭介の四人だった。
私たちは「ここで語られる話は現実になる」と言われたホスピスの掟に興味を惹かれ、恐れつつもその中に踏み込んでいた。
広いホールに足を踏み入れると、薄明かりの中で何かが揺れているのを見つけた。
美希は「なにあれ?」と小声でつぶやき、私たちは一瞬、恐怖に包まれた。
ホスピスの影が生きているかのように感じられ、どこかで誰かの声が響いたような気がした。
「ここなら語れるかもね」と、圭介が笑いながら言う。
私たちは彼の提案に従い、ホールの中心に集まった。
大輔が野外キャンプでの怪談を語り始めた。
「ある村に、夜な夜な現れる美しい女性の幽霊がいた。彼女は泣きながら村を徘徊し、村人たちは彼女を恐れて避けていた。しかし、一人の若者が彼女に心を寄せ、何か声をかけることになった。」
彼の語りが進むにつれ、私たちの心はその物語の中に引き込まれていった。
大輔の声が響く中、周囲の静寂が一層深まり、まるで耳を澄ませば何かが聞こえてくるような気がした。
「だが、彼女には一つの呪いがかかっていた。彼女の涙は、過去の悲しみを背負った者たちの魂で満たされていた。若者は彼女を助けようとするが、呪いを解くためには、心を捧げなければならなかった。」
その時、私たちの背後で何かが動いた。
それは私たちの心に恐怖を植え付けるかのような無言の圧力だった。
美希が驚いて後ろを振り返ると、廊下の先に薄暗い影が見えた。
「見て、何かいる!」彼女の声が響くと、私たちは身を寄せ合った。
「続けて、大輔!」恵美が叫び、さらに私たちの中に恐れを煽るような声が響いた。
「早く!」
大輔は少し動揺しながらも、物語を続けた。
「若者は、彼女の呪いを解くために、自らの心を砕く決意をした。彼女に近づき、その涙を受け止めようと試みる。しかし、耐えがたい痛みが走り、彼は自らの命を削るような覚悟で彼女を抱きしめた。その瞬間、彼女の涙が流れるとともに、彼の心は引き裂かれていった。」
静寂がホールを包み込み、私たちは恐怖に心を支配されていた。
そして、その瞬間、誰かの低い声が耳元で囁いた。
「還っておいで…」
振り返ると、廊下から現れた影がそこにいた。
白い服をまとった女性のようで、その目は私たちをじっと見つめていた。
私は言葉を失い、ただその光景に釘付けになっていた。
「どうしたの?何か見える?」圭介の声が遠くに感じられ、私の意識は徐々に吸い込まれていくようだった。
「彼女は、忘れられた者たちの呪いだよ…」美希が震える声で言った。
「彼女に心を取り戻してほしいの…」
恐怖に駆られながらも、私はその女性に目を奪われていた。
彼女は、切ない笑みを浮かべながら手を差し伸べてきた。
理解できないはずの感情が、心の内に響いてくる。
その瞬間、私たちは何かに誘われ、まるで影の中へとのめり込んでしまいそうだった。
身体は自由を奪われ、ただその場に立ち尽くしていた。
しかし、言葉が再び私の口から出ようとしていた。
「私たちを解放して…」
言葉が消えゆく中、影は姿を消し、私たちは元のホールに戻ってきた。
しかし、その瞬間の感覚は永遠に心に刻まれ、私たちは語られることのなかった、忘れ去られた者たちの物語を背負うことになったのが自覚できた。
音もなく、気づかないうちに、私たちはそのホスピスから何かを得てしまったのだと。
外に出ると、夜空には無数の星が瞬いていた。
私たちはその廃墟の影に、もう戻ることができないことを知っていた。