古い記憶が埋もれた街。
そこには、今も人々が出入りする商店街があった。
しかし、彼の目に映るのは、いつもと違う異様な静けさだった。
名は田中健吾。
彼は、この街で生まれ育ち、しかし今は東京での生活を選び、数年ぶりに故郷の街を訪れることにした。
その目的は、亡き母の遺品を整理することだった。
健吾が商店街を歩いていると、懐かしい店の数々が彼を迎えた。
だが、どの店も、どこか艶やかさが失われていた。
気になる店が一軒あり、古い看板がかかっている小さな本屋だった。
ずっと気になっていた場所だが、まるで時間が止まっているように思えた。
入ってみると、薄暗い店内は、埃にまみれた古い本が並んでいた。
本棚の奥深くに、彼は一冊の本を見つけた。
それは、母の名前が書かれた古ぼけた日記だった。
手に取ると、その表紙には不気味な模様が刻まれている。
広げてみると、そこには母の若き日の出来事が綴られていた。
しかし、ページをめくるごとに、彼は違和感を覚え始めた。
内容は、生前の母の記憶ではなく、何か別の存在の記憶のように感じられた。
「この街には、記憶を食べる者がいる」と、その日記は語っていた。
冗談のように思ったが、彼の心は妙にそわそわしていた。
母が昔話していた、「街の記憶を留めている者」のことを思い出した。
彼女はそれを怪物のように恐れていた。
書かれている内容には、次々と消えていく人々の名が刻まれていた。
彼の記憶から知っている人々ばかりだった。
その晩、健吾は実家に帰り、日記を手元に置いたまま眠りについた。
夢の中で、彼は不思議な場所に立っていた。
存在感のある霧が周囲を包み、視界を遮っていた。
どこかでかすかに響く呻き声が、彼の心に不安を生じさせた。
その時、背後で何かが動く気配がした。
「田中……」と呼ばれた声に振り返ると、そこには少女が立っていた。
「私のこと、覚えている?」彼女は明るい笑顔を浮かべながら、彼の目をじっと見つめていた。
しかし、彼の心には恐怖が生まれ、健吾は思わず後ずさった。
「あなたは……誰?」
「私はこの街の記憶。私を思い出して。」その声はまるで魅了するかのように響いた。
恐れを抱いたまま、彼は後退し、次第に逃げるように霧の中を彷徨った。
彼はその場から逃げ出そうとし続けたが、霧が彼の視界を奪い、ますます混乱させていく。
これまでに見たこともないような深い闇が周囲に広がっていた。
目を覚ますと、朝の光が差し込んでいた。
夢の感覚が未だに彼の脳裏に残っていた。
心臓の鼓動が早まり、彼はすぐに日記を読み返すことにした。
さらに深く掘り下げると、そこには過去にこの街で生活していた多くの人々の姿が描かれていた。
彼の知り合いも、その名の中にあった。
「次はあなたの番よ」と、その中で暗示するように書かれていた。
彼は慌てて本を閉じ、手にしたものの恐怖感から逃げたくなった。
何かが彼をこの街に留めている。
彼はこの街の「記憶」の一部となるのだろうか?それが頭を巡るたび、彼の心に不安が広がった。
もう一度、母の遺品を整理する作業を続けることにしたが、心に引っかかるものがあった。
何を捨て、何を残すのか。
それは彼の心にある記憶との戦いだった。
何が本当に重要なのか、わからなくなってしまっていた。
ここにいる限り、彼はその呪縛から逃れることができないのかもしれない。
商店街を後にしようとする時、再び彼の目に本屋が映った。
立ち止まり、振り返ると第一印象とは違った魅力がそこにはあった。
明るい笑顔の少女が、朝の商店街の中にいるように感じられ、彼は思わず吸い寄せられるように足を踏み入れた。
この街には、彼の知らない記憶が今も生き続けているのだ。