「記憶を吸い込む形の木」

静かな山間の村には、古くから「形の木」と呼ばれる一本の大きな木があった。
その木は、長い年月を経て、幾多の人々の思い出を吸い込んできた。
村の人々はその木に特別な感情を抱き、毎年その近くで囁かれる種々の伝説を語り合った。
しかし、その木には恐ろしい秘密が隠されていた。

ある日、村に住む青年・健太は、懐かしい思い出を胸に形の木を訪れた。
幼少期、友人たちと共に遊び、笑い合った思い出が詰まっている場所だった。
しかし、彼が木に近づくにつれ、何かが違和感を抱かせる。
木の根元には泥が堆積し、どこからか染み出たような液体が流れ出していた。

「これは一体……」健太は思わず足を止めた。
その瞬間、目から離せなくなったのは、漆黒の液体が形の木を包んでいる様子だった。
それはまるで木が涙を流しているかのようにも見えた。

「この木、何かが悪い」と直感した彼は、溢れ出す液体に近づいてみる。
すると、異様な感覚に襲われた。
その液体は冷たく、まるで彼の心を侵食していくようだった。
「逃げなければ」と思ったが、身体が動かない。
まるで木に吸い寄せられているかのようだった。

その瞬間、彼の視界がぼやけ、過去の記憶に引き戻された。
友人たちとの笑い声、明るい日差し、無邪気な日々。
それに交じって、かすかに音がした。
やがて健太は自分が囁いている言葉を聴いた。
「この木は、みんなの思い出を吸い込んでいる。だから、近づいてはいけない。」

気がついた時、彼は形の木の根元にひざまずいていた。
目の前には、かつての友人たちの影が見え隠れしていた。
彼らの顔には困惑と恐怖が宿っていた。
「どうしてここにいるの?」健太が呼びかけると、彼らの声が耳に届いた。
「ここはもう帰れない場所だ。何かが私たちを囚えている」と涙を浮かべて言った。

その瞬間、健太の心に染みるような声が響いた。
「お前も我々の仲間になれ」と。
彼は恐怖に駆られ、必死に逃げようとした。
しかし、形の木の影は彼を留めるかのように広がり、もはや後戻りはできなかった。

「お前がこの木に近づくことで、我々との間に融が生まれる。もう逃げられない。すべてが染まってしまうのだ」と声が囁いた。
健太は理解した。
彼が形の木に触れ、過去を想うことで、彼自身もまたこの場所に染まってしまっていたのだ。
彼には友人たちを助ける力が無いのかもしれないと。

やがて彼は、自分の意識がまるで白色の霧に包まれていくのを感じた。
「帰りたい……」と思ったが、その願いは虚しく消え去った。
健太の心は、形の木に飲み込まれていき、記憶と共に彼の存在も消え去るのだった。

その後、村の人々は形の木を恐れ、誰も近づかないようになった。
ただ、「形の木には決して寄り添ってはいけない」という警告だけが伝えられ、彼らの間に語り継がれていく。

時が流れるごとに、形の木は更なる泣き声を発し続けた。
ほんの少しだけ木の根元に触れた者は、いつの間にか記憶を失い、木の影となって消えられてしまう。
誰かの思い出を吸い込む木は、今もまたそのまま静かに待ち続けている。

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