「記憶の岸辺に佇む霊」

北海道の小さな村にある古びた神社。
その神社には、昔から地元の人々に信仰されてきた神が祀られていたが、最近は訪れる者も少なくなり、荒れ果てた境内にある社は静寂に包まれていた。
村人たちは、その神社にまつわる奇怪な噂を耳にしていた。
曰く、社の中には「元」という名の神霊が憑いており、彼らの過去の記憶や未練を掘り起こす力を持っているという。

そんな噂を信じるかどうかは別として、村に住む若者・翔太は、いつも通りの生活を送っていた。
彼は最近、夢の中で誰かに呼ばれている気がしてならなかった。
その声は、何か大切なことを伝えようとしているようだったが、いつも目が覚めると記憶の中に消えてしまう。

ある日、翔太は友人の田中と一緒に神社を訪れることにした。
田中は「元」の噂を気にしながらも、興味本位で神社の奥に進んでみようと提案した。
翔太はその提案に乗り、神社の静かな空気に身を任せた。

社の中に入ると、薄暗い空間の中には神具が微かに光っていた。
翔太はその神具に引き寄せられるように近づいた。
気づけば彼の手には、古い木札が握られている。
そこには「元」の文字が刻まれていた。
翔太は心臓が高鳴るのを感じながら、その木札を持ち上げようとした瞬間、周囲の空気が変わった。
蜩の鳴き声が遠くから響き渡り、神社の境内には凛とした静けさが広がった。

その瞬間、翔太の視界が歪み、まるで夢の中にいるかのような感覚に陥った。
彼は不思議な感覚を抱えつつも、突然彼の時間が過去に引き戻されていることに気づいた。
目の前には、彼が忘れかけていた幼い頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。
その記憶の中では、彼は笑顔で両親と遊んでいる姿が映っている。
しかし、次第にその場面は暗転し、彼の過去の痛みや未練が強制的に引き起こされた。

翔太はその感情に飲み込まれ、現実と過去が交錯する中、田中に助けを求めたが、彼の声は届かない。
田中は困惑しながら周囲を見回し、神社の神具がうっすらと光っていることに気づくと影から彼を呼び寄せた。

その瞬間、翔太は再び記憶の波に押し流されそうになった。
目の前に現れたのは、彼が知っているはずの両親の姿だが、彼らの表情はどこかさまよっているように見える。
翔太は衝動的に前に進み、両親に向かって叫んだ。
しかし、その声はまるで時間を超えて響くことはなく、彼の心の叫びさえも「元」の神霊に吸収されていく。

その後、翔太は都合の悪い記憶を思い出そうとすればするほど、心の底に蓋をしたはずの過去の出来事が蘇り、その感情が彼を圧倒した。
「元」の神霊は彼の思いを利用して、彼の存在を自身の中に取り込もうとしているかのようだった。

翔太は耐えかねて、神社を飛び出す決意をしたが、その足が一歩も動かない。
周囲の空気は重く、まるで何かに束縛されているかのように感じた。
田中が叫ぶ声がかすかに聞こえたが、その声も次第に遠くなってしまった。

やがて、時が経ち、翔太の意識は薄れていく。
その瞬間、彼の中にはいくつもの他者の思い出や感情が流れ込んできた。
彼自身の記憶がどんどんすり替わり、彼は元の自分を喪失していく。
「元」の神霊に憑依されることで、翔太は他人の思い出を生きる存在にされてしまったのだ。

気が付けば、翔太が神社に続く道を後にし、自身を探し求める旅に出かけたことは誰の記憶にも残らず、彼はこの世に忘れ去られた存在となってしまった。
神社には静かに時が流れ、今度は誰が「元」の声を聞くのか。
暗い影の中で、彼は自身の存在を忘れることの恐怖を、次の訪問者に伝えようともがき続けていた。

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