「計る者の囁き」

田中直樹は生まれつき盲目だった。
視覚を失った彼にとって、世界は音や香り、温度、そして触感で成り立っていた。
彼の住まいは、静寂な街の外れにある古いアパートで、そこから少し歩けば小さな公園が広がっていた。
毎晩、彼はその公園で過ごすのが日課だった。
冷たい風の中、木々のざわめきを感じながら耳を澄ますと、周囲の人々の笑い声や子供たちの遊び声が心地よく響いた。

ただ、最近、彼は何かおかしなことに気づいていた。
公園の奥の方から、時折「計」「計」と繰り返す声が聞こえてくるのだ。
最初は風のせいかと考えたが、徐々にその声は彼の心をざわつかせる存在となった。
他の音をかき消すように響き渡っていたためだ。

ある晩、いつものように公園に行くと、風も穏やかで静寂が広がっていた。
普段は賑やかな公園も、今日に限っては誰もいないようだった。
すると、そのとき、直樹の耳元で「ああ、計」と聞き覚えのある声が囁かれた。
彼は驚いて身を震わせた。
思わず自分の周りを確認するが、誰の姿も見当たらない。

彼は勇気を振り絞り、声の出どころへと進んだ。
薄暗い場所に足を進めると、彼の前に古びた木のベンチが現れた。
そこには何もないはずなのに、背後から「計、計」とその声が響いている。
視覚がない分、直樹の感覚は鋭くなっていた。
そして、その声には切迫感がこもっていた。

「計って、何を計るんですか?」彼は無我夢中で声を上げた。
すると、突然、彼の肩を冷たい手が触れた。
驚いて振り向くが、いない。
かすかな金属音が響き、何かが動いている気配がした。
「ああ、計、計…」その声は痩せ細り、冷たく、冷徹な響きとなっていた。

直樹は恐怖に打ちひしがれながら、なんとかその場から逃げ出そうとした。
ところが、身の回りの音が歪み、まるで空間が変わってしまったかのように感じた。
彼は目を閉じて耳を澄まし、声の主を探した。
「計る」ことの意味を知りたかった。
しかし、声を辿ることはできず、ただ恐れに心が支配されるばかりだった。

日が経つにつれて、直樹はその声から逃れようと必死になった。
しかし、「計る」という言葉は彼の心にしっかりと刻み込まれ、行動のすべてに影響を与えた。
もはや街の喧騒や親しい友人たちの声すらも、その声と重なってしまう。
彼はすっかり取り乱し、外に出ることさえも怖くなっていた。

ある夜、彼は公園に自らの運命を決めるため、再び向かうことにした。
恐る恐るベンチに腰掛け、静かに耳を澄ます。
「計、計…」その声が再び響いた。
自分に何ができるのかを考え、ついに直樹は声に向かって叫んだ。
「何を計るんですか?私の何を計るのか教えてください!」

すると、突然静寂の中に微かな柔らかさが広がった。
「心を計る」という声が響いた。
直樹はその言葉に動揺した。
心の深い部分に潜む痛みや恐れ、そして失われたものの思い出。
それを計ることが、彼に求められていることを彼自身が理解した。

「私は受け入れます。過去を受け入れ、再び生きていくための道を見つけます」と直樹は誓った。
すると、暗闇に包まれていた公園の空気が変わり、昔のように心地よい感覚が戻ってきた。
彼はその瞬間、視覚を持たない身でも、自らが歩むべき道を見つけたのだ。

あの声は、彼に「計って」もらうために現れたのだ。
失っていたものを取り戻すために、彼は自分の心を計る旅に出ることを決意した。
恐れを手放し、これからの未来に向かって歩み始めるために。

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