「視えぬものが見せる影」

深い森を抜けた先に広がる、古びた廃村。
その村は、誰も住んでいないはずなのに、時折、かすかな声や物音が聞こえてくるという噂が立っていた。
おそるおそる近づいたのは、大学生の佐藤と、彼の友人である山本、加藤の三人だった。
彼らの手には、昔から語り継がれている「視えるものしか見えない村」という話を確かめたいという思いがあった。

村の入口に立つと、何か異様な空気が漂っていることに気づいた。
澄んだ空気の中にも、見えない重苦しさを感じた。
佐藤はその場で立ち止まり、周囲を見渡す。
「ここ、本当に誰もいないのか?」加藤がつぶやいた。
さらに進むにつれ、彼らは再び息を飲んだ。
そこには、ぼんやりとした人影が見えたのだ。
どれもはっきり区別できるものではなく、ただ、空気の中に薄い膜として存在しているようだった。

「本当に視えるものしか見えないのかもしれない」と、佐藤は心の中で思った。
彼の心には興奮と恐怖が交錯していた。
友人たちもその雰囲気に影響され、さらに好奇心が募る。
「あの人たちは何なんだ?」山本が呟いた。
佐藤はじっとその影たちを見つめ、何かを感じ取ろうとした。
だが、影たちは視界の端に移り、次第に消えていった。

「もう少し奥に行こう」と佐藤が提案すると、友人たちは彼についていくことにした。
村の中心に近づくにつれ、奇妙な現象が起こり始めた。
時折、彼らの耳には無数の声が聞こえてくる。
低く聞こえるささやき声、急に大きくなる足音、そして一瞬だけ感じる視線。
村全体が自分たちを見守っているかのような、ぞくっとする感覚が彼らを包み込んだ。

「全部、視えるだけなんだよね」と、加藤が言ったが、その言葉には自信が感じられなかった。
そうして彼らは、ひたすら村を歩き廻った。
次第に陽が暮れてきて、薄暗くなってくる。
周囲の影がよりはっきりと形を持ち始め、特に一つの影が目を引いた。
それは、白い着物を着た女性の姿だった。
彼女はただ立っているだけで、無表情であった。

「この女性、見えない何かをもっているのかもしれない」と佐藤が心中で思う。
「話しかけてみよう」と彼は意を決して女性の前に立ち尽くした。
「あなたは、誰ですか?」彼が声をかけると、女性の影は一瞬揺らいだ。
しかし、返事はなかった。
その瞬間、村中から無数の声が重なり合い、彼らの耳に響いてくる。
「お前たちは…」と。

その声は大きくなり、視界がぼやけ始めた。
何かが彼らの心に触れてきて、思考が混乱していく。
「もう戻れないのか…」と佐藤は感じた。
その言葉が彼の心に染み込み、理解し始めていた。

村の影たちが、彼らがかつて持っていた望みや後悔を視覚的に表したものだと。
自分たちが何を求め、何を失ってきたのか。
それを思い知らされる感覚に捉えられ、彼らは恐怖で身動きが取れなくなっていった。

そこにいるのが、そこに存在し続けるものが、何を要求しているのか。
それを考えることができず、身を委ねることもできない。
やがて、村は暗闇に包まれ、影たちは彼らの心を飲み込み始めた。
不安が迫り、生と死の狭間で揺れ動く感情。
ついには、彼らの存在が薄れていくのを感じた。

陽が完全に沈んだ頃、廃村は静まり返り、ただの闇に包まれた。
佐藤たちはもう、戻ることが許されない存在になった。
そして、村は再び静寂を取り戻す。
彼らが去った後も、影たちは村のなかでゆらめき続け、次の訪れを待っているのであった。

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