深い森に囲まれた静かな宿があった。
その宿は、長い間誰も訪れずにいたため、薄暗く、ようやく帳簿に名前が記されるといった状況だった。
しかし、ある夜、一組の若いカップルが宿を訪れた。
彼らは自然を愛し、静かな場所を求めていた。
宿の主は、一見普通の老人で、二人を温かく迎え入れたものの、その目には少しの不審さが透けて見えた。
部屋に案内されたカップルは、ゆったりとした時間を過ごすことを楽しみにしていたが、宿には不気味な雰囲気が漂っていた。
どこか歪んだかのように感じる壁は、宿の古さをさらに際立たせていた。
夜が深まるにつれ、外は静寂に包まれ、月の光が窓から差し込んでいた。
しかし、ふとした瞬間、二人の間に裂けるような気まずさが生じた。
彼女は何かを思い出し、彼の顔を見つめた。
彼の目には何か暗い影が潜んでいるように感じられたのだ。
「どうしたの？」彼女は不安に思い、尋ねた。
彼は深く息を吐き、答えた。
「実は、昔、ここで起きた出来事を聞いたことがあるんだ。」
彼が語るには、この宿で、一組の夫婦が約束を交わした。
しかし、当時の夫は外の世界に心を奪われ、約束を破ってしまった。
彼はその後、深い後悔の中で自ら命を絶ち、奥さんはその悲しみに耐え切れず、宿の一番奥の部屋で姿を消したという。
彼は続けた。
「あの奥さんの霊は、約束を破った者を探すと言われている。宿のどこかに、裂け目があるんだ。それを通じて、彼女は未練を抱えた者たちを引き寄せるって言われてる。」
彼女は身震いしながら彼に答えた。
「それは伝説じゃないの？」
彼は暗い表情のままで、うつむいて言った。
「でも、何かが感じられるんだ。今夜、外の静けさの中で、彼女の声が聞こえたような気がする。」そう言って、彼は再び彼女の目をじっと見つめた。
その瞬間、宿の壁が微かに響いた。
二人は一瞬息を呑む。
肌寒さが一層強まる中、彼女は恐怖に駆られた。
少しずつ宿の雰囲気が変わっていく。
彼女は何か気配を感じ、部屋の隅へと目を移した。
そこにはかすかに揺れ動く影があった。
彼女は声を震わせて言った。
「あれ、見える？」
彼は動揺を隠しきれず、頷いた。
その影はまるで彼らを見つめているように感じられた。
彼女はその影に吸い寄せられるような気持ちになり、立ち上がって近づこうとしたが、彼は急いで彼女の腕を掴んだ。
「待って！それは危険かもしれない！」彼は叫んで言った。
彼女は彼の言葉に目を閉じた。
そのとき、薄暗い中から声が響いてきた。
「約束を破ってしまったのね…私を裏切った者はどこに？」
彼女はその声を聞いた瞬間、全身の血が凍りつく感覚を覚えた。
二人の間にあった信頼の裂け目が、さらに広がっていくようだった。
彼女は思わず彼から手を離し、影に向かって進もうとした。
彼が声をかけるが、その声はまるで耳の奥に届かないように感じられた。
影は彼女の目の前に立ちはだかり、その顔はどこか儚げでありながらも、深い悲しみに満ちていた。
「約束が破られた…なぜ、私はここに残されているの…」
彼女は心がズキズキし、申し訳ない気持ちが湧き上がる。
しかし、彼はその場を離れ、影から逃げようとした。
影は彼女に語りかける。
「あなたも約束をしてください。どんなに辛くても、私を忘れないと。」
その瞬間、彼女は心の底から、縛られたような感覚に襲われた。
何かが彼女の中で裂かれていく。
彼女は慌てて振り返り、彼に手を伸ばした。
「助けて！私もあなたのところへ！」
結局、彼は彼女を引き剥がし、宿を出ようとしたが、影は彼の心の隙間を狙い、静かに囁いた。
「あなたの約束は、私を裏切った者にしか聞こえない…」
時が経つにつれて、宿の外に出た彼らは、まるで自分たちだけがこの宿の呪いを背負ったかのように、重い空気の中を歩くこととなった。
宿が彼らの心に裂け目を刻み、徐々に二人の間の愛が冷えていくのを感じた。
そして、いつまでも解けないその約束の重みを抱えたまま、彼らは森の中を迷い続けることとなった。
