ある都市の片隅に、ひっそりとたたずむ小さな花屋があった。
店主の名は香織、彼女はお花が大好きな心優しい女性だ。
香織は毎日、様々な花を仕入れ、愛情を込めてアレンジし、顧客に提供していた。
この花屋には一つ、特別な秘密があった。
それは、「実」と呼ばれる不思議な花だった。
「実」は他の花とは異なり、枯れた花が合成されて作られた、奇妙な香りを放つ実を結ぶ。
香織はこの花の存在を知っており、その実からは強い浄化の力が宿ると言われていた。
しかし、この力には代償が伴うことを、香織は知らなかった。
ある晩、香織が店を閉めていると、一人の青年が店に入ってきた。
彼の名前は健太、都会の喧騒に疲れた男だった。
「最近、心が疲れていて、癒しを求めていたんです」と彼は言った。
香織はその言葉を聞き、心に引っかかるものがあったが、彼の希望に応えようと「実」の花を渡した。
「これには特別な力があります。きっと、心を癒やしてくれるでしょう」彼は感謝し、花を受け取った。
数日後、健太は顔色を失い、再び花屋を訪れた。
「香織さん、『実』を持っていてから、周囲の人や物が次々と消えてしまうんです。まるで、私の周りから人が離れていくような感覚が…」健太の言葉に驚きながら、香織は自身の思い込みを疑った。
もしかして、「実」が彼の精神に影響を与えているのかもしれない。
その証拠に、花の周囲にはいつも暗い影が漂っていた。
香織は急いで調べてみた。
「実」の花についての文献を見つけ、そこで知ったのは、この花には執着心を引き起こす力があるということだった。
「実」を持っている者は、それに引き寄せられるあまり、他者を求めるあまり、結局孤独に陥ることがある。
健太もその影響を受けているのかもしれない。
しかし、香織自身もまた、その実に惹かれていた。
彼女は健太に警告をする決意を固めた。
「早くこの花を返して、別の花に変えなければ…」しかし、健太は「もう遅い。消えたものは戻ってこないんだ…」と言った。
彼の顔には絶望感が浮かんでいた。
その時、健太の耳元で何かが囁いた。
「もっと執着しなければ、すべてを失ってしまうぞ。」
香織は震えながら健太に「こっちに来て、話をしましょう」と言い、彼を花屋の奥へと招いた。
そこに、もう一つの諭しの効力を持つ花を見せる予定だった。
しかし、実際には、彼女の心の中でも「実」に対する惹かれは強まっていた。
それが影響となって、香織自身も覚醒してしまったのだ。
数日後、香織は花屋の一角で新聞を読みながら過ごしていた。
そこには「失踪した市民の消息が立たれた」との見出しがあった。
詳細を眺めると、健太の名前があった。
彼はこの街から完全に姿を消してしまったのだ。
彼の周囲には、消失した人々の噂が立ち始め、恐ろしい影が花屋を包み込んでいた。
香織は恐れを感じながらも、その暗い影に引き寄せられていく自分がいた。
このままでは自分も消えてしまう。
それを悟った彼女は、必死になって「実」を捨てることを決意する。
しかし、捨てたその瞬間、背後から健太の声が耳元で囁く。
「忘れないで、私がここにいることを…」
香織は振り返り、彼の顔を見た。
彼は微笑みながらも、自身の姿が次第にぼやけていくのを感じた。
「実」に奪われた彼の存在は、香織の心に執着していた。
迷った末に、彼女は「実」を抱きしめた。
結局、香織もまた、この花の力によって、人々やモノたちを忘れることができない運命を受け入れることになった。
花屋の小さな店には、今もこの「実」が咲き続けている。
香織はその美しさに魅了されながら、失ったものの重みと共に生きているのだ。
人々は彼女を訪れ、花を買う。
しかしその影には、いつも健太の姿が浮かび上がっているのだった。