彼女の名前は佐藤玲子。
地元の小さな村で、自然に囲まれた暮らしを送りながら、大学で心理学を専攻していた。
玲子は、研究の一環として、人間の心理や感情に関する多少の実験を行っていたが、最近、彼女の耳に入ってきたのは、村の人々が語る「耳をすますと聞こえるもの」といった不思議な話だった。
「この村には、特別な霊がいて、静かな場所で耳をすますと、その存在を実感することができる」と、村の年配の方が語る。
彼女はその話に興味を持ち、実際に体験してみることにした。
ある日のこと、玲子は一人で村の外れにあるとある廃墟に足を運んだ。
普段は人が寄り付かない場所で、周囲は静まり返り、さながら異次元の世界にいるかのような感覚を覚えた。
古びた木の扉を開け、中に入ると、空気はひんやりとしていた。
しかし、そこで彼女が求めていた“聞こえるもの”が本当に聞こえるのか、正直なところ半信半疑であった。
玲子は深呼吸をし、目を閉じて耳を澄ました。
周囲の音が消え、心臓の鼓動だけが響く。
ほんの数分、静寂の中にいると、ふと微かな声が耳元でささやくのを感じた。
「玲子……」と。
その声は、まさに優しく、かつどこか切ない響きがあった。
彼女は驚き、周囲を見回した。
誰もいない。
怯えながら、再び目を閉じて耳を傾けると、今度はもう一つの声が彼女の心の中に響いた。
「やめなさい……」
突然、胸の奥に重圧感が押し寄せてきた。
何かが彼女を誘っているかのようだった。
それは、行動をしないことへの強い不安感であり、何か重要な選択肢を選ばなければならないような焦りだった。
心の中で葛藤する自分を感じながら、玲子は思わず音の発信源を求めた。
その瞬間、声がさらに迫る。
「助けて……玲子、私を忘れないで……」耳をすますと、周囲が視界の端で揺れ動いているように思えた。
その声は確かにどこかで聞いたことがある気がした。
玲子は反射的に背後を振り返った。
その先には、自分と同じ年齢ぐらいの女の子が立っていた。
彼女の目は怯えきっていて、一瞬怯えた様子を見せたものの、すぐに何かを訴えるようにこちらを見つめ返してきた。
気付けば、二人の間に耳に残る声があった。
「私を助けて」
玲子は彼女の正体が分からず戸惑った。
「あなたは誰?何が起こっているの?」と叫ぶが、彼女の口から出てくる言葉は、その一言のみに繰り返される。
「私を助けて」
その瞬間、玲子は思った。
もしかしたら、彼女の声は過去の友人、いや、かつての自分の一部なのかもしれない。
彼女は過去を断ち切り、逃げるように村を離れた自分を責めるようになっていた。
そして、この声はその未練が形となったもの、彼女に“断ち切る”ことを依頼しているのではないかと。
玲子は決心した。
彼女は声を代弁し、助けることで、自分自身を救うのだと。
この瞬間、心の中で葛藤していたものが、少しずつ晴れていくのを感じた。
彼女はその少女に向かい、意を決して言った。
「大丈夫。私はあなたを忘れない。どんなことがあっても、あなたを助けに行くから」
その言葉が響くと、少女の姿は徐々に消えていった。
耳に残る彼女の声は、いつしか玲子の心の中で温かく包み込むように変わり、“助けて”という声は次第に精神の中で「私を忘れないで」という願いへと変わっていった。
訪れた静けさの中、玲子は所有していた彼女の心を、村の運命に響かせることを決意した。
その日、彼女は一時の興味心を超えて、何よりも大切な何かを見つけたのだった。