ある静かな町の外れに、誰も近づかない「墟」と呼ばれる場所があった。
そこはかつて栄えた集落の跡であり、今では草木が生い茂り、朽ち果てた建物だけが残されていた。
人々は、そこに足を運ぶことを避ける理由の一つとして、古い言い伝えを語りついでいた。
それは、墟に近づくと耳に聞こえてくるささやきが、人の心を破壊するというものだった。
大学生の鈴木直樹は、その噂を半信半疑で聞いていた。
彼は心霊現象や怪談が好きだったが、自身が持つ理性的な側面から、その噂を冷静に考えようとしていた。
友人の高橋美紀と共に、彼らは何か面白いものを見つけたいと墟に向かうことを決めた。
夕暮れ時、彼らは墟にたどり着いた。
草木が生い茂り、古びた家々が不気味に静まりかえっている。
直樹と美紀は、興味津々でその場所を探索し始めた。
周囲は静まりかえり、ただ風の音と、木々のざわめきが耳に聞こえるだけだった。
しかし、その瞬間、直樹の耳に何か異変が起こった。
最初は、小さなささやきだった。
「出て行け…」という声が、遠くから響いてきた。
彼は思わず耳を澄ませ、声の方向を探った。
しかし、周囲には美紀以外の気配はなく、さらにその声は続いた。
「ここはお前たちの場所ではない…」
「なにか聞こえた?」直樹は不安を抱えながら美紀に尋ねた。
美紀は首を振り、何も聞こえないと言った。
しかし、直樹の心には不安が広がり、状態が悪化していくのを感じた。
耳の奥から響く声は次第に大きくなり、彼の心に直接触れてくるような気がした。
「もしかして、噂のせいかな…」直樹は自分を励ますように言ったが、心の奥で不安が覆いかぶさってきた。
彼はこの場所で何かが起きたのだと確信するようになり、同時に周囲の景色が歪んで見え始めた。
「直樹、もう帰ろうよ」美紀が言ったが、直樹は動けなかった。
何かに引き寄せられるように、古びた建物の一つに近づいていた。
美紀は彼の後を追ったが、直樹はその建物の中に足を踏み入れてしまった。
中には風に揺れる古いカーテンや、埃をかぶった家具が並んでいた。
その瞬間、直樹の耳に再び声が響いた。
「ここから出られなくなる…」彼は心が破壊される感覚に襲われ、自分の感覚が混乱し始めた。
気がつけば、美紀の声も聞こえなくなっていた。
直樹は恐れを抱え、部屋の中を見回すが、どこにも美紀の姿はなかった。
「美紀!」と叫びながら、直樹は焦りの中で建物を飛び出した。
しかし、彼が出た先もまた墟で、受け入れられない静寂が待ち受けていた。
耳の奥から聞こえる声が、次第にその内容を変えていく。
「沈黙せよ…」「忘れ去れ…」
彼は心が崩壊するのを感じ、どうにかして帰ろうと奮闘したが、墟にいる限り、その声は絶え間なく響き続けた。
呪いのように彼の心を蝕むその耳のささやきは、彼を責め、苦しめた。
だが、その言葉が意味するものに気づくには、彼自身が正気を失っていくしかなかった。
泣き叫ぶこともできず、直樹はその場で崩れ落ちた。
声が心の奥底に突き刺さり、いつしか彼の存在そのものが消えかけていた。
「出て行け…」「ここにはお前の居場所はない…」墟は彼の心を完全に破壊し、静寂の中に彼の声も影も残らなくなった。
数日後、美紀の友人たちが彼女を探しに墟を訪れたが、そこには誰もいなかった。
耳に残る不気味なささやきが、薄暗い木々の間から漏れてくるだけだった。
どこかでくすぶる恐怖の炎が消えることなく、墟の静寂に包まれていた。