「縁の池」

村の外れにある小さな池は、あまり人目につかない場所にあった。
周囲は濃い木々に囲まれ、日陰が多く、昼間でも薄暗い。
村人たちはその池を避けるようにしていた。
池の水は不気味に黒く濁り、時折、水面がざわめくように波立つことがあったからだ。
その原因について、村では様々な噂が立てられていた。

その村に住む青年、護(まもる)は、特にこの池にまつわる話を耳にしていた。
彼の祖父は「昔、この池に悪しきものが棲んでいた」と語っており、「その者に近づくな」と警告していた。
しかし、護の若い好奇心には、そんな警告も通じなかった。

ある日、護は友人たちとともにその池へ向かうことにした。
彼は彼らにこう言った。
「噂など気にする必要ない。実際に見てみようじゃないか。この池が本当に何かを陰に抱えているのか、確かめてやる。」

友人たちは最初は躊躇していたが、護の熱意に押されて池へ向かうことにした。
薄暗い道を歩き、ようやく池の前に立つと、誰よりも先に護が一歩を踏み出した。
周囲の静けさが彼らを包み込む。
水面は静かで、何の異変もないように見えた。

「何も起こらないね」と友人の一人が言った。
その瞬間、護は池の水面に何かが浮かび上がるのを見た。
それは、彼自身の顔だった。
水面には彼の姿が映り込んでいたが、その表情は自分のものとは思えなかった。
冷たい笑みを浮かべ、どこか他人のような目をしている。

「こんなの夢だろ」と、一人の友人があわてて後じさったが、護はその姿に魅了されてしまっていた。
彼はじっと池を見つめ、奇妙な連帯感を覚える。
まるで池が彼に語りかけているようだった。
彼は思わずその水面を指でなぞり、言葉を発した。
「俺たちを受け入れてくれるのか?」

その瞬間、池の水面が波立ち、護の手が水に沈み込んでいった。
彼は驚き、引き抜こうとしたが、引き寄せられる力が強く、体が池の方へと引かれていく。
「護!」 友人たちが叫び、彼を引き戻そうとした。
しかし、護の目にはどこか異様な光が宿り、彼はその場から離れようとしなかった。

「お前たちはこの池のことを知らない。縁があるんだ、俺たちが求められている。来い!」護の言葉に、友人たちは恐怖を覚え、彼を引き戻そうと必死になった。
しかし、護は悪しき何かに取り込まれたように動かなくなっていた。

その晩、村の人々は護の姿を見かけることはなかった。
彼が池に近づいたその瞬間から、彼はもう戻れない存在になってしまったのだ。
村では、護の不在を嘆く者もいたが、誰もその池の近くには寄らなかった。

月日が流れ、村には新しい世代が育ち、護のことを知る者は次第に減っていった。
しかし、池の水は相変わらず黒く、時折、波立つことがあった。
「護」の名が語られることはなかったが、村人たちの間では「悪が棲む池」として恐れられ続けた。
そして時折、その池に映る影は、護のものとして伝えられ、みんなの記憶の奥深くで語り継がれていった。
悪しき縁を持つ池の人々は、今もなお、誰かを求め続けているのではないか、と。

タイトルとURLをコピーしました