「笑う場所の記憶」

春の日差しが穏やかに降り注ぐある日、斉藤裕二は親友の佐藤健と共に、山奥にあると噂される「辺」の集落に差し掛かっていた。
裕二は長年の都市生活に疲れ、心のリフレッシュを目的にキャンプに来たのだ。
一方、健はいつも通りの好奇心旺盛で、特に心霊スポット探索に興味を抱いていた。

彼らは、「辺」の集落に伝わる不思議な伝説を耳にしていた。
そこには一度死んだ者の魂が集まり、生者に向かって笑いかけるという。
人々はそれを恐れ、「笑う場所」として忌み嫌い、近づくことを避けていたが、裕二と健はその話を興味が湧くものとして受け止めた。

「ちょっと行ってみようよ」、健は目を輝かせて言った。
「どうせ暇だし、アドベンチャーとしては最高じゃん!」

裕二は心のどこかで警鐘が鳴っているのを、無視することにした。
「まあ、行くだけ行ってみようか。」

二人は、集落の中心にある一軒の古い家にたどり着いた。
その家は周囲から外れ、その空間だけが異様な静けさに包まれていた。
木の扉をそっと開けると、内部には埃が積もり、古びた家具が配置されていた。
しかし、彼らの注意を引いたのは、床に落ちていた小さな鏡だった。

「これ、なんだろう?」裕二は鏡を拾い上げた。
その瞬間、背後からの怪しい声が響く。
「笑えばいいさ、笑って!」

裕二と健は驚き、振り返ったが、誰も見当たらなかった。
二人の間に冷たい汗が流れる。
裕二は気を取り直し、「悪戯か?誰かが仕掛けたんじゃないの」と言った。

健は興奮し、「もう一回言ってみてよ!」とにやりと笑った。
「俺ら、幽霊に会いたいんだから!」

裕二は仕方なく言った。
「笑えばいいさ、笑って!」すると、再び声が響いた。
「そう、そう、そうだ!」

突如、部屋の空気が変わり、あたりが妙な声で満たされ始めた。
ひとつ、ふたつ、三つの声が重なり合い、次第に「笑う場所」にしては異様な雰囲気が漂い始めた。
恐怖に駆られた裕二は、鏡を床に落とした。
すると、鏡の中に見えたのは、無数の顔が次々と笑っている不気味な光景だった。

「裕二、見て!」健が声を上げた。
裕二の後ろには、不気味に微笑む何かが立っていた。
その姿は人間の形をしていたが、目が空洞で、口だけが大きく開いて笑っている。
裕二は恐怖で立ち尽くす。

「お前たち、生きているか?笑えばいいさ!」声が無数に響き、まるでその場の空気が生きているかのようだった。
裕二は叫んだ。
「逃げよう、健!」

しかし、健は足がすくんだままで動けない。
「俺はこの笑いを見たい!」彼は目を透かして笑う者たちに引き寄せられていった。
裕二は必死に友を引き戻そうとしたが、健はそのまま鏡の中に吸い込まれていく。

「健、やめろ!」裕二は叫んだが、すでに遅かった。
笑声はさらに大きくなり、裕二の耳を撫でるように響き渡った。
「生者よ、笑えばいいさ、永遠に笑う場所にようこそ!」

裕二は恐怖に震えながら、その場を飛び出した。
森の中を必死に駆け抜け、振り返ることができなかった。
ただ、笑い声が消えることはなかった。
裕二は結局集落から逃げ出し、山を降りた。

数ヶ月後、しゃふしゃふとした生活に戻った裕二は、時折夢の中に健の姿を見かけるようになった。
笑いながら近づいてくる友の姿は、次第に輪郭がぼやけ、空洞の瞳になっていく。
そのたびに裕二は、あの「笑う場所」がどこかに存在することを悟った。
彼は決して戻ることはできないと知っていた。

今でも、友と笑い合ったあの瞬間を忘れられない裕二は、夜になると耳をすませる。
笑っている誰かの声が、遠くから響いてくるような気がするときもあるからだ。

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