ある静かな夜、大学生の健太は、友人たちとの集まりを終えて帰宅する途中、ふと藪の中にある古びた洋館を目にした。
話には聞いていたが、実際に目の前にすると、その存在感に圧倒される。
月明かりの下で見る洋館は、まるで忘れ去られた時がそこに息づいているかのようだった。
「一度、内部を見てみたいな」と健太は思った。
彼の好奇心は、幼少期から常に脈打っていた。
戸惑いながらも、彼は洋館の中に足を踏み入れた。
館の中は暗く、カビの匂いが漂っていた。
微かな月明かりが窓から差し込み、床の埃を煌めかせている。
健太は懐中電灯を取り出し、周囲を照らしながら進んでいった。
ふと、窓の方からかすかな声が聞こえた。
「助けて…助けて…」それは何かに呼ばれているような、薄暗い声だった。
健太は心臓が高鳴り、その場で立ち尽くす。
声がどこから来ているのか、まるで閉じ込められているかのようだった。
彼は意を決し、その窓に近づいた。
窓の外には、月明かりに照らされた庭が広がっていた。
しかし、その庭には誰もいなかった。
ただ、大きく美しい蔦の絡まった木が、異様な存在感を放っていた。
そして、窓に顔を近づけた瞬間、彼はふと見つめる先に、ぼんやりとした人影を見た。
それは、一人の女性だった。
彼女は白いドレスを着ており、その体は徐々に透明になっていた。
彼女の目は無表情で、ただ窓の外を見つめている。
「あなた…覚えてる?」と彼女は冷たくつぶやいた。
健太は驚き、うろたえた。
「誰ですか?」
「覚えてる…前にここに来たことを」と彼女は続けた。
その声はさらに低く、健太の心に響いた。
彼は記憶を辿るが、彼女のことは全く思い出せなかった。
「あなたに、私は必要だったの…」彼女の言葉は、健太の胸に重くのしかかった。
彼は戸惑い、逃げるように振り返ったが、背後にはただの空間があるだけだった。
再び彼女の声が響く。
「覚えて…私の名前を…」
その瞬間、健太の目の前に、彼女の記憶のひとかけらが浮かび上がった。
数年前、彼は友達と一緒に遊んだこの洋館の存在を思い出した。
その時、友人の中には彼女の親友がいた。
彼女の存在を思い出すと、彼の中に衝撃が走った。
「お前は、あの時の…麗子なのか?」健太は驚愕した。
その瞬間、彼女の表情に微かな変化が見えた。
「そう…やっと思い出してくれたのね。」
だが、彼女の姿はますます透明になっていく。
健太は成す術もなく、ただその場で立ち尽くした。
「どうすればいい?何を求めているの?」彼は必死に尋ねた。
「私の声、私の思い、ここに残っている。それを解放してほしい…」彼女の声は悲痛な響きを帯びていた。
返事のないまま、彼は考えた。
どうやって彼女を助けることができるのだろうか?
「私の思い出を語って…私を忘れないで」と麗子の声はさらに強まった。
健太は心の中で彼女との楽しい思い出を思い出した。
笑い合った日々、共に過ごした時間がよみがえってくる。
それが彼女の求める答えなのか、自分が大学に進学してから徐々に疎遠になってしまった事への謝罪なのか、待っている少女への適切な行動なのかを考えている間に、麗子の姿が次第に消えていく。
「どうか、覚えているから…私を忘れないで…」彼女の最後の言葉が消えた瞬間、窓の外で月明かりが強く輝いた。
健太はその後、洋館を後にし、麗子の思い出を心に刻んで歩き出した。
彼女の存在を忘れず、ずっと心にとどめておくという強い決意を抱きながら、月明かりの道を進んだ。