「窓の向こうの影」

夏のある日、佐藤明美は、亡き祖母から譲り受けた古い一軒家に引っ越すことに決めた。
この家は、村の奥にひっそりと佇んでいるもので、周囲には美しい自然が広がっていた。
しかし、その家には少し変わった噂があった。
窓から見える風景と、実際の風景が異なることがあるというのだ。

明美はその噂に興味を感じつつ、初めての一人暮らしに胸を躍らせていた。
だが、初夜を迎えた晩、彼女は奇妙な現象に見舞われることになった。
月明かりが窓を照らし、静寂に包まれた夜、明美は突然、寝床から起き上がった。
何かにかき立てられるように、窓の方へと近づいていく。

窓の外には、穏やかな夜の風景が広がっている。
しかし、その風景の奥に、どこか不自然なものが見えた。
暗闇の中に、ぼんやりと人影のようなものが立っている。
明美は不安になり、視線をすぐに外へ移した。
しかし、好奇心が抑えきれず、再び窓を見つめた。

すると、なんとその人影は、無言でこちらを見ていた。
顔ははっきりとは見えなかったが、まるで彼女に何かを伝えようとしているかのように、じっと視線を向けていた。
明美は恐怖を感じつつも、その影から目を離すことができなかった。
周囲の景色とは明らかに異なり、まるでその影だけが特別な存在のように感じられた。

その時、彼女の耳元に、ささやくような声が響いた。
「あそこの窓を開けて…」明美は驚き、恐れから一歩後ずさりしたが、身体が勝手に動くのを感じた。
言われるままに窓を開けると、外は静寂に包まれている。
風が優しく吹き抜け、彼女の髪を揺らす。

「何が見えるの?」心の奥で、何かに呼ばれている気がした。
思わず窓から外を見つめると、影の姿はまだそこにあった。
しかし、その影の姿が少しずつ変わり始め、まるで次第に実体を持っているかのように見えてきた。
明美は一瞬目を奪われ、自分がどんな行動をしようとしているのか、自失しそうになった。

突然、影が手を伸ばし、彼女の方へと引き寄せようとしてきた。
「こっちに来て…」その言葉が、冷たく響く。
不気味なほどの静けさの中で、彼女は恐怖を感じつつもどうしてもその影が気になり、無意識のうちに一歩踏み出してしまった。

その瞬間、窓から冷たい風が吹き込んできて、彼女の体を包み込んだ。
次の瞬間、家の中が真っ白な霧に包まれ、視界が消えた。
明美は動けなくなり、その場に立ち尽くしていた。
気が付くと、彼女は窓の前にいたが、周囲の景色はまったく異なっていた。
目の前に広がるのは、揺れる草原の中に立つ、見知らぬ村の風景だった。

何が起こったのか理解できなかった明美は、混乱の中で窓を閉めようとしたが、ドアも窓もまるで彼女を閉じ込めるかのように動かなかった。
さらに、家の中なはずの空間がどんどん遠のき、影が薄い笑みを浮かべながら彼女を見つめているのが見えた。

その後、彼女は元の場所に戻ることができなくなった。
影は徐々に近づいてきて、いつの間にか明美の心に入り込み、彼女は彼女自身の知覚を失った。
周囲の風景の「間」に入り込み、そこに永遠に囚われることになったのだ。
暗闇の中で、彼女を呼ぶ声はいつまでも響き続けていた。

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