「窓の向こうの声」

部屋に閉じ込められたような静寂が、名もなき一夜を迎えた。
外はコンクリートの音が響く普通の街、しかしその静けさの中に潜むものを感じるのは、屋内で過ごす警察官の佐藤だった。
彼は勤務明けの疲れを癒すため、その小さなアパートの一室で身を横たえていた。

夜も更け、時計の針が深夜を指す頃、怪しげな音が耳に入ってきた。
「カタカタ」という音だ。
まるで誰かが居ないはずの場所から、何かが動いているかのようだった。
普段なら無視してしまう程度の音だが、この夜は何か特別に不穏な気配を感じさせていた。

音の正体を確認するため、佐藤はいつの間にか寝ていたベッドから起き上がり、ゆっくりと音の方へ近づいた。
心拍数が上がり、手がかすかに震える。
彼は警官という職業柄、常に危機感は持っているが、この夜の感覚はただの職務では片付けられない。
何かが彼を引き寄せる、そんな思いがあった。

音の出所は、部屋の隅にある古いクローゼットだった。
そこからカタカタと音が続いている。
思わず息を呑み、ドアの前に立ちすくむと、中からかすかな声が聞こえてきた。
それは「助けて」という子供のような声だった。
彼は瞬時に頭の中が真っ白になり、全身が凍りついた。

「クローゼットの中で何が起きているのか?」一瞬の静寂の後、彼は意を決してクローゼットの扉を開けた。
中は薄暗く、圧迫感のある空間が広がっていたが、誰もいなかった。
音も声も消え、ただ空虚な闇が広がるだけだった。

しかし、再び「カタカタ」という音がする。
今度はもっと近くに感じられ、彼の背筋には冷たい汗が流れた。
音が聞こえる方角を振り向くと、堅く閉ざされた屋の窓の向こう側が薄く揺れているのが分かった。
外には何の気配もないが、どうやら音はそこから来ているようだった。

佐藤の心の中に「不安」が織り交ぜられていく。
警官であっても、人の命を守る任務があっても、目に見えない何かには立ち向かえない。
しかし、彼の責任感が彼を突き動かした。
どこまで真実なのか、どこまでが彼の思い込みなのか、知りたくなった。

再度、窓の向こうを見つめると、薄暗い路地の隅に何かが立っている。
影のような、それでいて人の形をした奇妙な存在だった。
心臓が高鳴るのを押しとどめながら、彼はその影に呼びかけた。
「誰だ!?」

すると、その影が少しずつ動き出し、音が重なり合った。
「助けて、ここから出して……」その声は再び子供のものに戻った。
佐藤はその声が本物なのか、ただの幻聴なのか混乱した。
彼は再度、窓に近づき、外に出ているものを見つめた。

その瞬間、目の前の影が彼の方に振り向く。
青白い顔立ち、そして無表情。
彼の頭の中には、幼い頃に失踪した子供の話が浮かび上がってきた。
彼の無意識の中で、ずっとトラウマとして眠っていたその子供の存在。

恐怖と憐憫の狭間で揺れる中、彼はその影に向かって手を伸ばした。
するとその瞬間、窓が勢いよく開いて、冷風が部屋に吹き込んできた。
佐藤は何が起こったのか分からず、ただ驚いて立ち尽くす。

窓の向こうからは、直後に消えた影の後に深い静寂が戻った。
音も声も、部屋の中も、まるで何事もなかったかのように穏やかになった。
しかし、何かが彼の心の奥に深く根付いてしまった。
音は消えたが、彼の心に残る不安は消えなかった。

その晩以降、彼は仕方なくその部屋を離れ、他の場所で寝ることを決意したが、時折聞こえてくる「カタカタ」という音に怯える日々が続いた。
それは彼の心に潜む孤独や恐怖、その根源をさぐる旅の始まりでもあった。
夜の闇の中で、彼は何が本当の恐怖なのかを知ることになるとは、思いもよらなかった。

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