山深い村に一軒の古びた家があった。
そこは、多くの人にとって忘れ去られた場所であり、村の人々は近寄ることさえ避けていた。
この家には、今は亡き老女が住んでいたと言われ、その名は秋山桂子。
彼女は村の誰もが知る存在だったが、その死後、家は半ば崩れ落ち、無人となった。
ある日、大学生の佐藤健太が友人たちと肝試しを思いついた。
彼らは噂を聞きつけ、興味本位でその家に向かうことにした。
夜、月明かりが薄暗い道を照らし、彼らは家の前にたどり着いた。
窓は割れ、ドアは錆びついていたが、何故かその家には不思議な魅力があった。
「入ってみようよ」と、誰かが提案した。
躊躇する声が聞こえたが、好奇心が勝り、彼らは家の中に足を踏み入れた。
古い木の床がきしむ音が響く。
そして、冷たい空気に包まれ、彼らは身震いした。
部屋の隅には、かつての面影を残す家具が無造作に置かれていた。
奇妙なことに、家の中には一つだけ無傷の窓があった。
その窓の外には、揺れる木々の影が映し出され、まるで誰かが見ているかのように感じさせた。
健太はその窓に心を奪われ、近づくとともに、なぜか胸が高鳴り始めた。
「おい、何か見えるのか?」友人の一人が不安げに声をかけた。
健太は何も答えず、ただ窓を見つめ続けた。
突如、窓の向こうから一瞬の影が滑り込むように見えた。
しかし、目を細めて見ても、それはもう無かった。
彼はただの影だと自分に言い聞かせ、友人たちを振り返った。
そんな時、突然、家全体が微かに揺れ始めた。
まるで古い家が息をしているかのように。
「気持ち悪いな、もう出ようぜ」と誰かが言い出したが、健太はまだ窓が気になっていた。
彼は、その窓の向こう側に何があるのか確かめたい衝動に駆られた。
周囲の友人たちが不安に口々に声を上げている中、健太は再び窓に近づいた。
すると、彼の目の前で窓が不気味に開いた。
驚く彼は、一瞬何が起こったのかわからなかった。
そして、その瞬間、わずかに窓の隙間から何かの声が聞こえてきた。
「助けて…」
それはかすかで、悲しみに満ちた声だった。
彼の心の奥に刺さり、彼は一瞬にして身動きが取れなくなった。
その声は、まるで窓の向こうから呼びかけるように響いている。
友人たちが叫ぶ中、健太はその声に引き寄せられるように、窓の間口に手を伸ばした。
「何が起こっているんだ、健太?」友人たちは彼を引き止めようとしたが、彼はその声に魅了されていた。
手が窓を越え、冷たい空気に包まれると、何かが彼の中で崩れ始めた。
彼は、その声がかつての老女桂子のものであることに気づいた。
「あの声を無視するなんてできない…」健太はつぶやき、目を閉じた。
次の瞬間、彼は記憶の中に香るような、懐かしい匂いを感じた。
桂子が暮らしていた頃の温もりが、瞬時に彼を包み込んだ。
彼はその温もりを求め、窓の向こうに手を伸ばした。
彼の意識が薄れかけ、友人たちの叫び声が遠くなる。
けれども、彼はもう逃げられないと理解していた。
窗口から漂う悲しみの中で、桂子の姿が徐々に浮かび上がってくる。
彼女の崩れゆく家の片隅で、彼は確かに彼女の願いを感じながら、まるで彼女と一つになっていくようだった。
そうして、夜が明ける頃、家の五つの窓のうち一つだけが割れたまま残り、その窓の向こうには静寂が広がっていた。
友人たちは健太の姿を見失い、もう彼を呼び戻す勇気もない。
古びた家は、また新たな伝説の一部となったのだった。