「祠の囁き」

時は、静まり返った山の奥深く、古びた祠の前に立っていた。
彼女は、村の人々が避ける場所として知られるその祠に、少しの好奇心と怖れを抱いて足を踏み入れた。
幼少期、迷信深い村人たちから語られた「気」の話を思い出させるような、その佇まいは、どこか不気味であった。

祠の内部は暗く、ひんやりとした空気が張りつめていた。
時間が止まったかのような静寂に包まれ、時はその場で深呼吸をした。
しかし、次の瞬間、自身の心臓の鼓動が耳に響くほどの静けさの中で、彼女は不思議な感覚に襲われた。
まるで周囲の空気が自分に触れ、何かが「気」を集めているかのようだった。

彼女は、村人たちから聞いた「行」の話を思い出した。
かつて、この祠には多くの人が訪れ、安産や無病息災を願ったという。
しかし、特定の日に訪れる者には、悪い「気」が宿ることがあると警告されていた。
村人たちは、時に「人ら」が神に捧げるために訪れることがあることを恐れていた。
それを知りながらも、彼女はそのまま祠の奥に進むことにした。

祠の奥に進むにつれ、薄暗い壁に彫り込まれた古代の文様が目に入った。
彼女の心は高鳴ったが、同時に胸を締め付けるような不安が募った。
文様の中には、目を閉じた人や、大勢の人々が手を繋いでいるような姿が描かれていた。
それは、まるで村人たちの思いが形となったように見えた。

突然、爪を立てたような冷たい触れ合いが彼女の背中を走った。
振り返ると、何もなかった。
しかし、空気の「気」は確かに変化していた。
彼女は、その場から逃げ出すべきか悩んだが、何か引き寄せられる感覚に抗えなかった。
足元には、無数の落ち葉と小石が散りばめられ、何かを呼び寄せているかのように見えた。

時は、祠の奥へと進むにつれて、身体の中に集まる「気」が次第に強くなっていくのを感じた。
「この祠には、何かが宿っている…」彼女は内心で懸念を抱きながらも、気がつかぬうちに小さな口笛を口ずさんでいた。
それは、幼少期に村の人々と一緒に口ずさんでいた遊び歌だった。

歌声に呼応するように、祠の奥から奇妙なざわめきが響いてきた。
まるで人の声のように、彼女の名を呼ぶ声が聞こえる。
時はその声に引き寄せられるように、一歩また一歩と進んでいった。
「私のことを知っているの…?」そんな疑問が心を掠めるが、好奇心はそれを上回っていた。

奥に進むにつれ、薄明かりの中に、かすかな人影が見えた。
時はその存在に近づき、目を凝らしてみると、かつての村人たちが集まっている様子だった。
彼らは、無表情で、ただ彼女を見るだけだった。
時は恐れを抱きつつも、自らを強く持ち、この奇妙な状況に挑む決意を固めた。

「あなたたちは、何を求めているの?」彼女は声に出し、問いかけた。
しかし、誰も返事はしなかった。
ただ、彼らの目が彼女の内なる「気」を探るようにじっと見つめている。
冷たい風が吹き抜け、薄暗い祠の雰囲気が一瞬変わった。
人々の空気とは異なる重苦しい「気」が辺りを包み込み、時は理解した。
彼らは、彼女の中にある「思い」を求めているのだ。

彼女は、恐怖を堪え、心の中で決断した。
自らの意志を持ち続け、「人ら」に捕らわれることはない。
その瞬間、彼女の心の底から湧き上がる思いが、「気」として発散した。
まるで、祠に宿る黒い影に立ち向かうかのように、彼女は次の言葉を口にした。

「私は、私自身を決して捧げない。そして、あなた達も私を求めたことを忘れないだろう。」その言葉が響いた瞬間、祠の空気が一変した。
周囲の人々の姿がぼやけて消え、明るい光が広がった。

時は祠の中に感じていた圧迫感から解放され、呼び戻されたかのように外へ飛び出た。
村の外れで振り返ったとき、祠の影は遠くから静かに彼女を見つめていた。
心の中の「気」は整い、重苦しい思いが晴れた瞬間、時は自分自身を取り戻すことができた。

タイトルとURLをコピーしました