東京の下町にある古い着物店「着」。
そこは、伝統的な和服が所狭しと並ぶ一方で、住民にも敬遠されている不思議な場所だった。
店主の佐藤亮は、何年もこの店を切り盛りしてきた。
しかし、彼が扱う着物には、ある秘密が隠されていると言われていた。
それは、着物を着ることで身に降りかかる、異常な現象だった。
ある雨の日、大学生の田中美樹が友達と共に「着」を訪れた。
彼女は一目惚れした紬の着物を探しているうちに、気がつけば店内の奥に迷い込んでいた。
そこには、他の着物とは異なる、薄暗く不気味な雰囲気を持つ一着の着物が掛けられていた。
厚い埃が被り、長い間、誰にも触れられていないかのようだった。
美樹はその着物に魅了され、つい手を伸ばした。
触れた瞬間、彼女の体に冷たい気が走り抜ける。
その刹那、彼女は一瞬、見知らぬ女性の姿を幻視した。
その女性は、美樹と同じ年頃に見え、無表情でじっとこちらを見つめていた。
驚いた美樹は、その着物に興味を抱く一方で、胸の奥に不安を感じた。
しかし、何か引き寄せられるように、彼女はその着物を試着することに決める。
鏡の前でその着物を身にまとったとき、彼女の視界は急に真っ暗になり、異次元に引き込まれるような感覚に襲われた。
そして、目の前にはあの女性が現れた。
女性は静かに言った。
「あの着物を身に着けると、私はあなたに依存してしまう。私の思いが込められた着物は、私が未練のうちに生きたことの証でもあるから…」
美樹は恐怖を感じながらも、女性の目に引き込まれ、言葉を返すことができなかった。
すると少しずつ、彼女の周囲の風景がゆがんでいき、気がつけば店内にいたはずの美樹は、廃墟のような空間に立っていた。
「ここはどこ?」美樹が叫ぶと、女性は微笑みながら言った。
「私の思いを知るための場所。私が亡くなった時、着物を着たままいつもここに迷い込んでいたから…」
美樹は、自分がこの女性の未練を引き受けていることを理解した。
彼女を解放するためには、この呪縛を解かなければならない。
美樹は女性に尋ねた。
「どうすれば、あなたを解放できるの?」
女性は静かに語り出した。
「私の生きた軌跡を知り、思いを伝えられる者が必要なの。着物を着ているとき、私の過去を覚えている者として、私に会うことができるの。けれど、それには犠牲が伴う…」
美樹は困惑したが、決心を固めた。
「私はあなたの思いを伝えたい。あなたの命を奪った理由を知り、あなたの未練を解き放つ手助けをするわ。」
女性は微笑みを浮かべ、そして徐々に彼女の形が薄れていった。
「ありがとう、あなたが私の思いを届けてくれるなら、私もあなたを一人にはさせないわ。」
美樹はその瞬間、再び明るい光の中に引き戻された。
気がつけば、着物店「着」の店内に立ち尽くしていた。
心臓が高鳴り、汗が流れる。
試着室の鏡の前には、今もあの着物がある。
恐る恐る美樹はその着物を脱ぎ、元の場所に戻すと、佐藤亮にその出来事を話した。
すると彼は静かに頷き、彼女にそれを扱う特別な覚悟が必要だと言った。
「この着物は、身に着ける者に私の思いを伝える力を持つ。あなたの生き方次第で、彼女の思いを託されるかもしれない。」
その日の出来事は、美樹の心に深く刻まれた。
そして、彼女は決して忘れられない女性の願いを背負い、彼女の思いを伝えるために生きることを決意した。
それは、彼女の人生に新たな目的を与えることになったのだ。