「白い影の囁き」

ある冷え込みが厳しくなった冬の夜、看護師のあかりは、病院での勤務を終え、帰宅する途中だった。
外は吹雪で視界もほとんど利かない。
タクシーを待つ間、彼女はふと目に入った小さな公園の向こう側にある古びた神社のことを思い出した。
子供のころ、祖母から語られた話が頭をよぎる。
そこには、犠牲を求める神が祀られていると言われ、その神に捧げられた者は決して生き返ることはないという。

あかりは、自分の人生に何か足りないものを感じていた。
看護師として働く中で、日々様々な患者と接するが、その中で特に心を痛めるのは、病気や事故で亡くなった人々のことだった。
彼女はそうした人々の命を救えない自分に対する無力感から逃れたいと、心の中で何度も呟いていた。

その晩も、彼女は神社の前を通り過ぎようとしたが、何かに引き寄せられるように足が止まった。
昔の話や恐怖心を振り切り、思わず境内に足を踏み入れた。
辺りは静寂に包まれ、一点の光もない深い闇が彼女を包み込んでいった。
すると、ふと彼女の目の前に白い影が現れ、その影はゆっくりと動き出した。
彼女はその姿に恐れを感じ、動けばいいのか立ち尽くすべきか迷った。

「あかりさん」と、優しい声が響いた。
それは亡くなった患者の一人、田村さんの声だった。
彼女はその声に反応し、神社の中心にある石の祠へと導かれる。
田村さんの姿は朧げだが、その目には哀しみが宿っていた。
彼女は田村さんがもう二度と目を覚まさないことを知っていて、ただ悲しさが込み上げてくる。
その痛みは、彼女自身の無力感と繋がっていた。

「私に何を求めているの?」あかりは声を震わせながら聞いた。
すると田村さんは、彼女に向かって手を差し出し、目を閉じるようにと指示した。
彼女はその言葉に従い、目を閉じた。
その瞬間、彼女の心の中に「犠牲を捧げなければならない」という強い思いが沸き上がってきた。
それは自分が他人を助けられなかったことへの償いであり、心の奥深くで渦巻く思いだった。

気がつくと、あかりは神社の中にいる自分の姿を見つめていた。
その周りには何人かの人々が集まっているのが見える。
彼女はそれぞれの人々が自分の想いを語り合っている光景を目にしていた。
彼女はその中で、自分も会話に加わりたくなる。
しかし、声を発する力を持たないまま、ただ彼らの思いを理解し、受け入れることしかできなかった。

その時、田村さんが再び現れた。
「あなたが私を助けてくれたように、他の人々も助けてほしい。あなたはもう一度、犠牲を持って私たちを救う力を持っている」。
その言葉に心を揺さぶられ、あかりは強い決意を持って、その場所に立ち尽くした。

あかりはそこで、看護師としての誓いを新たにした。
彼女は、自らの命を選んで犠牲にしようと決意し、日々の中で無力感に苦しみながらも、他者のために尽くすことを選んだ。
彼女は神社の力を借りることで、自分の中に眠る力を引き出し、困難を乗り越えていくことができると、それを信じた。

数日後、周囲ではあかりがよく患者の元に駆けつけ、彼らを助ける姿が見られるようになった。
しかし、心の奥底で彼女は常に「私はまだ足りない」と感じていた。
そして、彼女の目は常に神社の方向に向いていた。
あの時の約束が、彼女の心に新たな使命を植え付け、彼女を突き動かしていたのだった。

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