「白い和服の記憶」

玲子は古びた家に引っ越してきた。
北海道の一角に位置するその家は、周囲を深い森に囲まれ、どこか異様な雰囲気を漂わせていた。
新しい生活に期待を抱きながらも、どこか心の奥には不安が渦巻いていた。

初めの数日は何も起こらなかった。
しかし、ある晩、玲子が寝ていると、ふと氷のような冷気に包まれ目を覚ました。
薄暗い部屋の中、彼女は誰かの気配を感じた。
半分夢の中にいるような状態で、彼女は恐る恐る周囲を見渡した。

その時、見慣れない女性の姿が壁に浮かび上がっていた。
その女性は白い和服を身にまとい、髪の毛は長く、顔は暗闇に覆われていてはっきりと見えない。
玲子は恐怖で固まった。
心臓が高鳴り、息を呑む。
女性は静かに、しかし確かに彼女の方へ向かって進んできた。

「助けて…」という囁きが、耳元で聞こえた。
その声は哀れさと絶望感に満ちていた。
玲子は思わず後退りしたが、女性の姿は小さくなり、やがて消えてしまった。

その夜、玲子は夢を見た。
夢の中で、彼女は再びその女性と出会った。
鮮やかな紅の花が咲く庭で、彼女は一人座っていた。
玲子はその女性に向かって近づいたが、女性の目には無限の悲しみが宿っているのを感じた。
彼女の名前を尋ねると、優しいが悲しそうな声で「美咲」と答えた。

美咲は、自分がかつてこの家に住んでいたこと、そして家族によって見捨てられた記憶を語り始めた。
彼女には愛する人がいたが、事故で命を落としてしまい、その衝撃で家庭も崩壊。
美咲は一人、言葉を選ぶこともできず、孤独な中で死んでしまったという。

玲子は徐々に美咲の苦しみを理解し、何かをしなくてはならないという衝動に駆られた。
彼女は美咲の命が、彼女自身の手によって解放されることを望んでいると感じた。
翌日に、玲子はこの家についての資料を集め始め、美咲の遺族を探る作業を始める。
その中で、家の近所に住む老婦人から、かつての家族が崩壊した理由とその後の消息を聞き取った。

しかし、玲子の周りで不可解な現象が続いた。
夜になると、物が勝手に動き回り、家の中に冷たい風が吹き込む。
彼女は一度、鏡の前に立った際、自分の後ろに美咲が立っているのを見てしまった。
彼女は恐怖に駆られ、叫び声を上げた。
しかし、鏡の中の美咲は悲しそうに微笑んでいた。

玲子は次第に、美咲の存在が自分に寄り添い、共に生きるようになっていくのを感じ始める。
彼女は夕暮れ時にその家の前で美咲のために祈ることに決めた。
そして、彼女の家族の所在を突き止め、彼らに美咲の存在を伝えることを決意した。

数週間後、玲子は美咲の家族に連絡を取り、彼女の死にまつわる悲劇を伝えた。
家族は涙を流し、長い間忘れていた美咲の記憶を蘇らせた。
彼らは彼女のための供養を行うことを決め、そのために家を訪れた。

供養の日、玲子は美咲と共にいるような感覚を覚えた。
彼女の存在がどんどん薄れていく。
家族が美咲の思い出を語り、花を供えると、静かな風が吹いた。
何かが解き放たれる感覚が、玲子の心に広がっていた。

美咲が笑顔で彼女を見つめ、ついに安らぎを得たのを感じた。
玲子は心の底から、美咲とその家族に感謝した。
彼女の命の温かさが、あの古びた家に満ちていくのを感じ、玲子自身もまた何か大切なものを得たと実感するのだった。

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